アイルランドの自由を勝ち取るために戦った市井の人々に、深い尊敬の念を抱いている
労働者階級の人々の現実を、温かな眼差しで描き続けてきたケン・ローチ監督が、1920年代のアイルランドを舞台に、対英国独立戦争から内戦へと至る悲劇の歴史に挑んだ『麦の穂をゆらす風』。2006年カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドールに輝いた本作で、アイルランドの自由のために戦いに身を投じる主人公を演じたのが、アイルランドを代表する若手俳優キリアン・マーフィーだ。ハリウッドでも活躍するキリアンが、故郷を舞台にした本作とケン・ローチ監督への思いを語ってくれた。
キリアン・マーフィー
1976年5月25日、アイルランド南部のコーク生まれ。十代の頃は音楽に夢中で、弟とつくったロックバンド「THE SONS OF MR.GREEN GENES」でギターに熱中し、レコード会社からオファーが来るほど地元コークで人気となる。コーク大学の法学部に進学するが、コークを拠点にした劇団「Corcadorca Theatre Company」のオーディションを受け、演技の道へ。舞台「DISCO PIGS」の重要な役に抜擢されて一躍注目され、そのツアーのために大学を中退。この舞台は2001年にはカースティン・シェリダン監督によって映画化され、キリアンは映画版にも主演した。
劇場長編映画のデビューは、98年のアイルランド映画『The tale of Sweety Barret』。その後、ダニー・ボイル監督の大作『28日後…』(02)の主役に抜擢されてブレイク。『バットマン・ビギンズ』(05)で悪役を演じて、一気にスターダムへ。ニール・ジョーダン監督の『プルートで朝食を』(05)では、女装青年“キトゥン”を演じ、ジャンルを問わない多彩な役柄で主演できる第一級の俳優としての地位を確立した。アーティストの妻との間に1歳の息子がいる。
本作に主演するにあたって、ケン・ローチ監督からはどのようなオファーがあったのですか?
ちょうど最後のオーディションの後に、「これをぜひ、君にやってほしいんだ」というような言葉でオファーしていただいたと記憶しているよ。とても控えめなもの言いをする方なんだ。
もちろん、ご自身のご希望でオーディションを受けられたんですよね?
そう。5回ほど、オーディション的なものに参加した。俳優たちには社会的な問題に関する課題を出されて、それに賛成なのか反対なのかをケン・ローチ監督と議論するというような即興的なセッションを行ったんだ。
今回はキリアンさんの出身地が舞台となっていて、ほんの80~90年くらい前のことですから、地元の方たちにとってもそれほど昔の出来事ではないと思いますが、当時のことはどのように聞いていらっしゃいますか? また、ご自身でリサーチはされましたか?
おっしゃったように、これは僕たちにとって、そう昔の出来事ではないんだ。特にコークは常に英国に対して頑強に抵抗してきた地域でもあり、人々の心には未だ、この戦いの記憶が根強く残っている。特に、同胞同士が争う内戦というのは、人々の心を深く傷つけるものだ。コークの人々も同様に、心に傷を抱えて生きている。
僕自身の家族の話をすると、実の祖父が、禁止されていたにもかかわらず、外で音楽を演奏していたという理由で、英国の武装警察隊“ブラック&タンズ”に撃たれたということがあった。幸いにして命はとり止めたけどね。それから、遠縁に遊撃隊のメンバーだった者がいて、彼はブラック&タンズに撃たれて命を落としてしまった。彼を偲ぶ石碑がコークに残っていて、僕も子供のころは「あれがそうだよ」と教えられたりしたね。ただ、このような犠牲者はいたけれど、それほど政治的な家族ではないので、例えば、当時のことを毎日のように語り聞かされるというわけではなかったんだ。
また、リサーチに関しては、かなりたくさんの文献を読んだ。歴史ものや学術的な文献、それに個人的な思い出を綴った本も読んだけれど、後者の方が、役作りに備えたリサーチとしては価値を見出すことができたね。
ケン・ローチ監督からは一日に数ページしか脚本を渡されなかったと伺っていますが、それは逆に役に入りやすかったですか? 即興的な自由度も高かったそうですね。
そうなんだ。当日にそのシーンの脚本を渡されるというケースがほとんどだったね。たまに、それ以前にもらうこともあったけど。監督からはその場で、「こういうシーンになる」と説明されたんだ。また、シーンによっては、与えられる情報量が俳優によって違っていたりもしたんだけど、そうしたやり方は、常に新鮮な気持ちで役に向き合えたので、僕はとても好きだったね。“本来はこうあるべきだ”と思わせられるような演出方法だった。それと、即興に関してだけど、98%は脚本にあった台詞どおりだよ。監督と脚本家のポール・ラヴァティが、この物語の結末とそれに至るまでの経緯を綿密に組み立てながら書き上げた万全な脚本なわけだから。ただ、即興で自分を表現する多少の余地はあった。“僕だったらこういう風な言い方が言いやすいな”と思えば変えられる余地はあったし、ちょっと足したい台詞があればそれも採用してもらえたんだ。でもほとんどは、初めから用意されていた台詞どおりだった。
監督のすばらしさを、どんなときにどんな風に感じられましたか? 何か強く印象に残ったエピソードはありましたか?
ごめんなさい。僕はエピソードを挙げるのが得意ではないし、これからも絶対にうまくはなれないと思う(笑)。とにかく、すばらしい瞬間がたくさんあって選べないんだ。僕は、一つ一つの出来事、エピソードを覚えているよりも、全体を大きな経験として覚えているタイプなんだよ。ケン・ローチ監督のことを話すと必ず、“ピュアー”という言葉が口をついて出てきてしまう。本当にこれはユニークなことなんだけど、ケンは映画作りにまつわるあらゆるナンセンスから解放され、そういうものに一切汚されることなく、映画作りが出来る方なんだ。彼から本当にたくさんのことを学んだよ。具体的に言うと、本能的な演技、誠実なパフォーマンスとはどういうものかということ、考えすぎず、分析すぎずに演技をし、脚本、ストーリーに自分自身を捧げるということを、彼から学んだんだ。これは一生、僕の中に残っていく宝だと思っている。
この映画には、素人の方たちも多く出演されているということですが、特にシネードのおばあさんやお母さんを演じた方たちは、演技以上のものを見せてくださった気がします。おばあさん役の方は、実際にこの出来事を体験されたのでしょうか?
確かに彼女は、自分自身が経験したことの記憶、そしてもしかしたら、前の世代から語り継がれてきた記憶というものを抱えながら、この作品に出演されていたと思う。女性に年齢を伺うのは失礼なので、お幾つかは伺っていないけど(笑)、たぶん、大英帝国の一部だった時代の独立戦争と内戦を経て、現代のアイルランドに至るまでの変遷をすべて経験していらっしゃると思うよ。とにかく、驚くべき女性だった。演技の経験は全くなく、どのように映画が作られるのかというプロセスも全くご存知なかったけれども、この映画の深部に根ざしていたとも言える方なので、その存在感は圧倒的だったし、人としての温かさもスクリーンからにじみ出ていたね。演技の経験がないといっても、撮影が始まってみると、ごく自然に演じていたことにも驚かされた。それが出来たのももしかしたら、アイルランドの伝統的なストーリーテリングというものが彼女の中に息づいていたからなのかもしれない。
この映画はコークでプレミアがあったんだけど、そこに出席されて、すごく楽しんでいらっしゃったよ。
こうした、プロの俳優ではない方たちから自然な演技を引き出すというのも、ケン・ローチ監督のすばらしさを象徴しているね。彼は、演技は誰にでも出来るという意見を持っている。その人にふさわしい環境が整っていて、余計なプレッシャーさえ与えなければ、誰だって演じることが出来ると信じているし、実際彼のやり方に接したら、それに同意せざるを得ないよ。
今回は、独立運動のリーダーだったマイケル・コリンズについてあまり触れられていませんでしたが、運動の上層部・中核に焦点を当てたニール・ジョーダン監督の『マイケル・コリンズ』と、運動に身を投じた市井の人々が主人公の本作を合わせて見ると、互いに補完し合う形でこの出来事全体が見えてくる気がしました。キリアンさんの同郷者でもあるマイケル・コリンズについては、どう思っていらっしゃいますか?
偉大な男だよ。ニールの映画『マイケル・コリンズ』は、マイケル・コリンズという人物の伝説、神話を描いた作品だと僕は思っている。今回の映画の中でもマイケルは、条約の採択を伝えるニュース映画の中でちょっと登場しているね。一番大きな違いは、ケンの映画は市井の人々が草の根レベルで参加した戦争、内戦を描いている点だ。農民、普通の労働者、商売人のような普通の人々が、いかに戦いに身を投じていったかが描かれている。確かに、ニールの『マイケル・コリンズ』と今回の映画は互いに補完し合っていると言えるね。
マイケルはコーク出身の偉大なヒーローであり、アイルランドが自由を勝ち取るために彼がしたことは本当に大きかったと思う。ただ、僕の演じたデミアンは条約批准に反対で、内戦になると、マイケル・コリンズと対立する側についてしまうんだよね。これはまた別の話になっちゃうけど(笑)。
アイルランドは現在好景気で、ここ10年の間、アイルランド人のメンタリティーは大きく変わったのではないかと思います。ダークエイジと言われていた過去の時代を描いているこの作品が今、見られるということの重要性については、どう思われますか?
この映画はアイルランドで大ヒットしている。興行成績の記録を塗り替えているほどだ。確かに、現在のアイルランドは非常に好況で、現代的なヨーロッパの国になっている。ただ、この映画の中で描かれている時代は、アイルランドの歴史においても非常に重要な時期であり、例えば、北アイルランド問題のような現在の政治情勢のルーツを辿っていけば、この映画で描かれていた時代に端を発していることが分かる。だから、この出来事を今振り返ることには大きな意義があると思っているし、特に僕らの世代はこの時代についてあまり詳しく知らなかったりするので、こういう作品を通して過去を振り返り、理解を深めていくのは、非常に健康的なことだと思っているよ。
映画の中でこの時代を生きたことで、戦いに身を投じた人々に対する新たな理解は生まれましたか?
そうだといいと思う。僕はとにかく、当時運動に身を投じた彼らに対して深い尊敬の念を抱いている。僕がこの映画を撮っていたときは29歳だったんだけど、当時参加していた闘士たちは、20~21歳といった非常に若い人たちが多かったんだ。彼らは一つの信念の下で戦いに加わり、“アイルランド”という国家のビジョンを現実のものにしようとする中で、命を落としていった。そんな人々を永遠に記憶するためにも、この映画が彼らの成してきたことに見合うだけの作品になっていたらいいなと思うよ。
この作品は英国では、「反英国的だ」とか「IRAのやったことを正当化している」などといった厳しい批評がなされていますが、それについてはどう思われますか?
この話をするのは大好きだよ(笑)。「反英国的だ」というけれど、当時、英国政府の軍部が命令を下して、組織的な恐ろしい弾圧が実際にコークで行われたということについては、誰一人として異論を唱えられる者はいない。だからあれは、事実を描いているにすぎないわけで、根拠のない批判だと思う。当時の政府の政策に対する“アンチ(=反)”だったと言うことは出来るかもしれないけどね。また、「IRAを正当化している」ということに関しても、例えば、僕の演じたデミアンが、裏切り行為をした16歳の仲間を射殺するというシーンがあったり、後半はアイルランド人同士が戦っている内戦を描いていて、しかもその抗争は独立戦争よりもさらに暴力的で血生臭いものだったことを容赦なく見せているわけだから、正当化しているようなところはないと思うね。そうした批判を展開した新聞は、英国でもどちらかというと右寄りのものばかりで、非常に皮肉な話なんだけど、その同じ新聞内の映画評では5点満点がついていたりしたんだ(笑)。
ただ、この一連の出来事は、監督にとっては試練だったと思う。なんといっても、彼自身が英国人だからね。「反英国的」だとか「裏切り者」などという言葉でとがめられるのは、本当に辛かったはずだ。彼は政治家ではなく映画作家であって、しかも、この映画はドキュメンタリーではなく、ある視点から物語を描いているにすぎないわけから、そんな風に彼を糾弾するのは非常に不公平だと僕も思うね。ただ、この映画がそうした批判を越えたものであるという一番の証はやはり、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞したということ、そしてアイルランドと英国両国でヒットしているということではないかな。それに、批判を浴びてもケンは、大変饒舌に、そして極めて正確に反論することが出来る人ではあるんだよね。
本作のデミアン、そして『プルートで朝食を』の“キトゥン”など、さまざまな役柄を演じていらっしゃいますが、キリアンさんにとって、役選びで一番大切なことは何ですか?
まず、何よりも脚本だね。ただ、今回の作品はそれに当てはまらない。ケン・ローチ監督は俳優に脚本を見せてくれないので(笑)。とにかく、アイルランド映画に何本、ハリウッド映画に何本……とバランスを考えながら出演しているということは全くないんだ。作品の内容と役柄で選んでいるだけだよ。だから、本作とニール・ジョーダン監督の『プルートで朝食を』という、2本の価値あるアイルランド映画に参加できたのは、本当に運がよかったと思っている。
つまり、作品選びの基準は脚本、それから以前と同じようなものはやりたくないので出来るだけ違った役、自分にとってチャレンジになり得るかといったことが決め手になっているね。
あふれるばかりの緑が写し出されていましたが、この大麦の季節というのはアイルランドで最も美しい頃なのでしょうか? また、アイルランドでキリアンさんが気に入っていらっしゃる場所を教えてください。
アイルランドはすごく雨が多いので、実は一年中緑なんだ(笑)。アイルランドは本当に、とても美しい風景に恵まれている国だよ。中でも僕が好きなのは、故郷のコークとその隣のケリーという地域なんだ。あと、北アイルランドも美しいよ。ぜひ、観光にいらしていただきたいね。
アイルランドの歴史について知識がない観客に、この映画をどういう風に見ていただきたいですか?
僕自身は、どんな観客にとっても入りやすい映画だと思っているし、特にアイルランドの歴史に詳しかったり、知識を持っている必要はないと思っているんだ。ケン・ローチ監督が本当にすばらしいのは、異なったレベルでこの作品に入り込んでいけるところだ。一方はヒューマンなレベル、他方はもう少し政治的なレベルから見ることもできる。僕としてはやはり、感情のレベルでこの映画を見ていただきたいと思っているんだ。つまり、僕らと何ら変わらない市井の人々が、異常とも言える状況に置かれてしまったというストーリーだから、そのような普通の人々に感情移入して、彼らの心の軌跡を辿っていただきたい。もちろん、それをもう一歩進めて、政治的な見方をしていただいてもいいと思う。特に今日、世界で起きている出来事になぞらえて見ていただくことも、それはそれでいいのではないかな。どのような視点を持って、どこまで入っていくのかというのは、観客次第だよ。
今や、アイルランドを代表する若手俳優というだけでなく、ユニークな個性でハリウッドからも注目されているキリアン・マーフィー。名の知られた俳優をあまり起用しないケン・ローチ監督に抜擢され、生まれ故郷を舞台に、アイルランド史でもとりわけ重要な一時代を描いた作品なだけに思い入れは格別のようで、言葉の端々にローチ監督への深い敬意も感じさせつつ、リラックスした雰囲気ながらも熱く語ってくれた。
奥様を伴っての初来日で、ベジタリアンということで、おそばをはじめ、日本料理はかなりお気に召したとか。オフの時間もたっぷり取って、京都を観光したりと日本を存分に堪能したようだ。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
『麦の穂をゆらす風』作品紹介
1920年、イギリス支配下のアイルランド。南部の町コークに暮らす青年デミアンは医師になる夢を捨て、兄のテディらと共に、アイルランド独立を求める戦いに身を投じる。やがて独立は勝ち取ったものの、完全な自由を保障していない講和条約をめぐり、アイルランド国内で賛否が分かれ、家族・同士をも引き裂く内戦に突入してしまう……。名もなき市井の人々を温かい眼差しで描き続けてきた名匠ケン・ローチ監督の、2006年カンヌ国際映画祭最高賞パルムドール受賞作。
(2006年、アイルランド=イギリス=ドイツ=イタリア=スペイン、126分)
キャスト&スタッフ
監督:ケン・ローチ
出演:キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド、メアリー・リオドンほか
公開表記
配給:シネカノン
2006年11月18日(土)よりシネカノン有楽町、渋谷シネ・アミューズにてロードショー、全国順次公開
(オフィシャル素材提供)