家族の絆ほど大切なものはない
貧しくとも、息子たちに音楽の喜びを伝える父フランシスコと、両親の大きな愛に支えられ、夢に向かってまい進する少年たち――。心に直接訴えかける歌詞とシンプルで抒情的なメロディーで、ブラジル人の心をつかんで離さないブラジル音楽界のトップ・アーティスト“ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ”が、どん底の暮らしから成功をつかむまでを描いた真実の物語『フランシスコの2人の息子』。ブラジル映画歴代興行収入新記録を樹立、2005年アカデミー賞外国語映画賞ブラジル代表にもなった本作で映画監督デビューを飾ったブレノ・シウヴェイラが、ブラジルの熱い家族愛について語ってくれた。
ブレノ・シウヴェイラ監督
1964年、ブラジル・ブラジリア生まれ。パリのエコール・ルイ・リュミエール・ヴォージラールの映画撮影学科を卒業。ドキュメンタリー作品の撮影からキャリアをスタートさせたのち、カルラ・カムラチ監督の『Carlota Joaquina – Princesa do Brazil』(95)、アンドリューチャ・ワディトン監督の『Gemeas』(99)と『私の小さな楽園』(00)、フラヴィオ・R・タンベリーニ監督の『Bufo & Spallanzani』(01)、ジョゼー・エンヒッキ・フォンセカ監督の『O Homem do Ano』(03)など、10本以上の長編映画の撮影監督をつとめた。その他、ミュージック・ビデオやCMの撮影も手がけ、数々の賞を受賞。また、ジェネラル・モーターズ、フォード、ホンダ、Itau、マスターカードなど数々の有名ブランドのCMを手がけ、2002年には最優秀広告監督賞を受賞している。娘2人の父親でもある。
本作を映画化した経緯をお聞かせください。
実は、レコード会社を通して、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノの映画を監督しないかという話が来たとき、最初は断ったんだ。彼らの音楽はあまりなじみがなかったしね。
ところが、二人の父親である実際のフランシスコにお会いして話をしてみると、とても心打たれるものがあり、ゼゼのコマーシャル映画ではなく、フランシスコを通して真実の物語を撮りたいと思うようになったんだ。彼らの人生をありのままに描くことで、家族の絆というものを世界に伝えたかった。結果として、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノを知らない人でも共感できる素晴らしい家族の物語を描くことができて、都市でも大ヒットした。まさか、東京で公開されるとは思ってもいなかったけどね(笑)。
この映画を撮るにあたって、一番苦労した点を教えてください。
一番の苦労は制作の途中ではなく、始める前にあったんだ。何よりも、少年時代のミロズマルとエミヴァルを選ぶのが一番大変だったね。プロでやっている子役も含め、300人以上の子どもたちをオーディションしたんだけど見つからず、彼らを見出すまでには随分時間がかかったよ。ミロズマル役のダブリオ・モレイラとエミヴァル役のマルコス・エンリケは、フランシスコよりももっとひどい父親がいる貧しい家庭に育った、演技経験のない子どもたちだったが、とても歌がうまかったんだよね。
それと、自分が撮ったものをブツブツと切らなければならない編集という作業もつらかったね。すごく恐ろしくなったし、具合まで悪くなったよ(笑)。
見つけるのに苦労されただけあって、2人の子役が実に魅力的でした。歌って演奏もしていましたが、演奏シーンはスムーズに進んだのですか?
サウンドはダイレクトに録りたいと思っていて、カットしたり吹き替えるのは絶対やりたくなかった。実はミロズマル役の子はアコーディオンが全く弾けなかったんだけど、楽器を与えたら一生懸命練習して、20日間で弾けるようになったんだ。すごく才能のある子だよ。だから、彼は実際に弾いているし、音もそのまま収録している。それでもやっぱり、撮影は大変だったけどね。
今回の話は、フランシスコが2人の息子をミュージシャンにしたいという夢が全ての基になっていました。中には、親の期待でつぶれてしまう子どももいるかと思いますが、2人の息子がここまで大成功を収めるに至ったのは、なぜだとお考えですか?
私も2人の子どもを持つ親だが、確かに、大人が子どもに過剰な期待をかけるのは絶対に間違ったことだと考えている。フランシスコの場合は、音楽のすばらしさを子どもに伝えることができたのが大きかったと思う。ゼゼが音楽に心を奪われていったのも、父親のおかげなんだよね。ゼゼは親の期待に応えるだけでなく、音楽を自分の夢にしてしまったんだ。フランシスコは一生懸命に子どもたちを喜ばせようとした。蓄えていたものを全て売り払って楽器を買い、子どもたちが喜ぶ姿を見て、自分も喜んだ。自分の夢を子どもたちの夢にできたところが良かったんだね。
フランシスコは、夢を追い続けてきた人だ。息子への愛情は人一倍だったけど、地代も払えないほど生活はひっ迫していたのに、息子に楽器を買い与えるような人で、そんな彼の夢を支え、家計を支えたのは奥さんのエレーナだったんだよ。今度、「エレーナと10人の息子」という本が出版されるそうだよ(笑)。
僕も娘たちに自分の思いを押しつけるのではなく、どうやったら彼女たちに分かってもらえるか試行錯誤している段階なんだ。フランシスコの気持ちを理解できたということも、この映画を作った大きな理由の一つだね。映画は真っ先に娘たちに見せたよ。
オープニングの次から次へと子どもが授かる場面が面白かったですが、あれは当初から構想されていたのですか?
あのシーンは苦労の賜物なんだ。エピソードとしては面白いよね。最初は2人男の子が欲しい、絶対に有名にするというところから始まって、2人が生まれたわけだけど、その後も次から次へと生まれて、家族のテーブルもどんどん大きくなっていくという。そのこと自体は面白いんだけど、6~7分もかけて描くのかと考えたら、これは駄目だと思った。とは言っても、撮影はしたんだ。子どもたちをどんどん代えていかなければならなかったし、子どもだから泣いたり騒いだりで、大変だったよ。結局、5日間かけて撮り上げたんだけど、最終的にはほとんどカットしてしまい、短くした結果があれになったんだ。
全編を通して、ノスタルジックで雰囲気のある映像が美しく印象的でしたが、映像や色彩に関してはどのようなこだわりがあったのかお聞かせください。
ゼゼたちが生まれ育ったゴイアス州の村そのものが、美しい所だったんだ。撮影の時期が乾季だったこともあって空の色もクリアで、緑は深く、泥の色も濃かったので、あれほど美しいコントラストを表現できたんだよ。だから、あれは場所そのものの美しさであって、私がやったことと言えばただ、その美しさをとらえるということだけだったね。
今回は家族の方々にもインタビューをされたと思いますが、特にフランシスコさんと奥様のエレーナさんから、このエピソードは撮影してほしいといった要望はありましたか?
今回のモデルとなっているのは、大半が生存されている方々なので、皆さんのお話を伺うにあたって、何が起こったかだけでなく、そのときに何を考えどう感じたかも含めて、出来る限り忠実に再現したいと思ったんだ。だから、フランシスコとエレーナにはたくさん話を伺ったし、特にエレーナとはよく話をさせていただいたね。例えば、息子さんの一人が亡くなったとき、フランシスコはどんなことをおっしゃっていたのかなど具体的に伺って、映画に反映させていったんだ。
撮影も全て、実際の場所で行っている。4ヵ月間、俳優たちと共に現地に住み込んだんだ。その間、一家のことを知っている人たちが次々にやって来ては「あのときはこうだった、ああだった」と、口をはさんできたね(笑)。撮影中だというのに、「それは違う」と言って割り込んでくるものだから、俳優が怒ってしまったり(笑)。
でも、フランシスコとエレーナのお二人からの要望は全くなかったんだ。ゼゼとルシアーノからは、それぞれ一つずつあった。ゼゼは、鍬を逆さにしてマイク代わりにし、歌を練習するシーン。ルシアーノはサンパウロ時代、「100万枚のアルバムを売って有名になる」とずっと言っていたと周囲の人たちから聞き、ルシアーノに確認したらその通りだと言うので、これは入れようということになり、予定の撮影は終わっていたんだけど、後からわざわざ付け加えたんだ。
最後のコンサート・シーンですが、映画のための演出だったのでしょうか?
あれは演出ではないんだ。大規模なコンサートを撮影したいとゼゼに伝えていたところ、「今度、サンパウロでやるから」と返事があり、それを撮影したんだよ。ただ、ご両親がステージに上がるということはゼゼには隠していた。本当は「僕が家を出る日」が始まったときにご両親には出てほしかったんだけど、あの曲が始まる前にあるはずだったブレイクがなくなって、曲がすぐに始まってしまったせいで、ご両親は曲の途中で登場するハメになってしまって……(笑)。ご両親の姿を見たら、ゼゼは感極まって声が出なくなってしまうし、お父さんは倒れそうになるし、もう大騒ぎだった(笑)。でも、歌えなくなったゼゼの代わりに、3000~4000人いた観客が合唱するという感動的なシーンになったね。ものすごい広い会場のあちこちにカメラを散らばせておいて、全てコントロールできると確信をもって臨んだのに、全然想像していた通りにはならなかった。カメラは何があっても回せと言ってあったので、映像には別のカメラが映り込んでいたり、全くコントロールのきかない状態になってしまった撮影の結果があれだったんだ。でも、ドキュメンタリーも自分では思うようにコントロールできないものだよね。それと同じ感じだった。
ゼゼたちに隠し事をして大騒動を引き起こしてしまったので、コンサートが終わった後、楽屋に呼ばれたんだけど、怖くてとてもじゃないけど行けなかったね(笑)。
日本では家族の絆がもろくなっていて、家族間の殺人なども頻繁に起こっています。この映画はとりわけ、深い家族愛が胸を打ちますが、家族の絆はやはり、ブラジル人が最も大切にしているものなのでしょうか?
確かにブラジルでは、家族の絆が最も大切だという思いは今も強く残っている。私も自分のことを、父母や兄弟と分かち合ったものを少しずつ受け継いだ存在だと考えているし、家族の愛情は強くなくてはいけないと信じている。奪い合う関係になっては絶対にいけないんだ。日本で起こっているようなことがブラジルでは全く起きていないというわけではないが、やっぱり家族の絆はブラジル人の根本にあるものだ。外国の方々の目には、私たちの感情表現の仕方は独特なものに見えるかもしれないけどね。ゼゼたちも、7人兄弟なんだけど、全員ものすごく仲が良いよ。父親を核として、家族の絆を本当に大切にしている。お母さんは家族を養わなければいけないからいつも忙しくしているけど、お父さんはずっと兄弟のそばにいて彼らを支え続けたので、その存在も大きいんだよね。現代は家族が離れて暮らしたり、なかなか一緒にいられなかったりするけど、家族は近くにいることが大切だと私は思っているんだ。
監督はパリで映画を学ばれたそうですが、影響を受けた映画監督はいらっしゃいますか?
フランスには撮影を学びに行ったけど、実はあまり勉強しなかったんだ。というのは、その頃すでに現場で働いていたし、授業に出たらとてもつまらなかったので(笑)。だから、その時間を使って映画館に行き、世界中の映画を観ていたよ。黒澤 明、キューブリック、トリュフォーなど、いろいろな監督の映画を観て、その全員に影響を受けたと思っているんだ。
次回作についてお聞かせください。
脚本を書き終えたばかりなんだけど、リオデジャネイロが舞台の愛の物語だ。富裕地区と貧困地区の階層の違う人々の間で生まれる愛を描いている。ハッピーエンドとは言いきれないが、大きな感動が生まれる映画になると思う。
私は人生を描くことに興味がある。音楽も興味はあるが、それを生んだ人のバイオグラフィーの方にもっと興味があるんだ。
とても優しく、人なつっこい笑顔を絶やさなかったシウヴェイラ監督。初来日ということで、写真を撮りながら「日本はもう、どこかに行かれましたか?」と伺うと、通訳さんがすかさず、「それは禁句なんですよ」と(笑)。プロモーションのための来日なので無理はないが、インタビューを受け続けていて、まだほとんど外出の機会がないのだとか。開放的なラテンの血(?)が騒ぐだろうに、仕事とは言えお気の毒なことだ……と、自分もその原因をつくっている一人であることも棚に上げ、ついそう思ってしまった。
「こんなくたびれた男の写真を撮るなんて、サエないよね」なんて照れながら謙遜されていた監督。この方だからこそ、あれほどの温かさに満ちた映画を作ることができたのだと、ファインダー越しにシャイな笑顔を見つめながら納得していた。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
『フランシスコの2人の息子』作品紹介
ブラジルの田舎町。11人家族の長男ミロズマルと弟のエミヴァルは貧困の家族を救うため、父フランシスコからもらったアコーディオンとギターを片手にバス・ターミナルで歌いはじめる。
苦しい巡業、最愛の弟の死、難病……、数々の挫折を乗り越え、父の愛情に支えられ成長を遂げていく息子たち。そして、バス・ターミナルで歌っていた少年はいつしか、ブラジル中が熱狂するトップ・アーティスト“ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ”になった――。
(英題:Two sons of Francisco、2005年、ブラジル、上映時間:124分)
キャスト&スタッフ
監督:ブレノ・シウヴェイラ
出演:アンジェロ・アントニオ、ジラ・パエス、マルシオ・キエリンギ、チアゴ・メンドンサ・ウェルソン、パロマ・ドアルテ、ダブリオ・モレイラ、マルコス・エンヒケほか
公開表記
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
2007年3月17日、シャンテシネほか全国順次ロードショー
(オフィシャル素材提供)