イベント・舞台挨拶

『ミリキタニの猫』特別試写会舞台挨拶・Q&A

©Lucid Dreaming,Inc.

 ドキュメンタリー作家のリンダ・ハッテンドーフの初監督作品『ミリキタニの猫』が日本公開される。8月14日(火)、特別試写会舞台挨拶・Q&Aが実施され、70年ぶりに来日した元ホームレスの画家ジミー・ミリキタニ氏と、リンダ・ハッテンドーフ監督が登壇した。

まずは、ご挨拶をお願いします。

リンダ・ハッテンドーフ監督:皆さん、こんにちは。来ていただいてありがとうございます。本日ここに来られて大変うれしく思っております。

東京国際映画祭に続いて、今回2回目の来日だと伺っておりますが、今日もすごく暑いんですが、この暑い日本をどう思われますか?

リンダ・ハッテンドーフ監督:日本に来られてとてもうれしく思っていますし、チャンスを頂いてありがたく思っているんですが、確かに非常に暑いので、今度は秋に来日して紅葉を楽しみたいと思います。

今回、ジミーさんとジミーさんの故郷の広島に行かれたと伺いましたが、広島ではどちらに行かれたのですか?

リンダ・ハッテンドーフ監督:広島の平和式典に参加して、大きな感銘を受けました。

実は1通の手紙をいただきました。1990年頃にジミーさんとニューヨークでホームレスの仲間だったという方からでした。今日はその方が会場にいらっしゃっています。映画はいかがでしたか?

(客席から)僕がホームレスをやっていたのは1999年、約4ヵ月ほどだったんですが、いつも朝ミリキタニさんと一緒にお話しながら……毎日、たわいもない会話をしていました。当時でもミリキタニさんは80歳近い方でしたが、それからもう8年経ったので、こんなに元気な姿をミリキタニさんをスクリーンで拝見できたのはすごく驚いていますし、うれしく思っています。
リンダ・ハッテンドーフ監督:あなたもお元気でよかったです。

今日はこの映画を見せていただいて、ジミーさんの人生やお人柄、その人を取り巻くいろいろな事実を知ることができて、とても良かったと思いました。映画の中で、ジミーさんがまるでお父さんのように「何時に帰ってくるんだ?」と言っているシーンがありましたが、監督にとってジミーさんはどのような存在ですか?

リンダ・ハッテンドーフ監督:ジミーは今や、私にとって“おじいさん”のような存在よ。実際今も、毎週ジミーさんを訪問しているんだけど、ホームに行くと周りの人が「この方はどなた?」と聞くんだけど、ジミーは「私の孫娘だよ」と紹介してくれるの。私の祖父母は私は生まれる前に亡くなっているから、これはうれしいことだわ。今私には日本人のおじいさんがいるの(笑)。

監督にとってジミーさんは赤の他人で、家に入れたくないタイプの人だった可能性はあると思いますが、なぜ彼を受け入れようと思われたのですか? ジミーさんは特別な存在なのか、あるいは同じような境遇の方が他にいたらやはり受け入れていましたか? どのくらいのアメリカ人が同じようなことをやれると思いますか?

リンダ・ハッテンドーフ監督:人間は誰しもが良いことをする許容量というのがあると思うの。9.11が起こる頃まで、私はほぼ毎日9ヵ月間路上にいる彼を訪れていた。でも、9.11を境に全てが変わってしまったの。戦争とか恐怖とか憎悪とかそういうものばかりを目の当たりにしていて、私自身もっとポジティブなことをしなければと思っていたのね。というのは、人間の魂はもっと良いことが出来るということを、自分でも示したかったので、そうしたいと思ったの。そういう意味でもジミーが私と住んでいたということは、私にとってもすごく助けになったわ。まだ世界には良いことがあると思えた気がしたの。

ジミーさんはアメリカ政府から社会保障を受けることをすごく拒絶していましたが、それでも監督は諦めずに挑戦し続けたその想いというのは、どんなものだったのですか?

リンダ・ハッテンドーフ監督:ジミーが私のことを「タフな女だ」と言うんだけど、たぶんそれは正しいわ(笑)。それから、物事には時間がかかることもあるけど、私は辛抱強くもあるの。60年という長い時間の間になされたことの修復をしなければいけなかったので、60年間の間の不信感を信頼感に変えるにはかなり時間がいったわね。

ミリキタニさんの信念であるとか、人種差別の問題であるとか、戦争についてであるとか、いろいろなテーマがちりばめられていて、いろいろと考えさせられました。そもそもどうしてこの映画を撮ろうと思われたのですか? 先ほどおっしゃった「ポジティブなことがしたい」というお気持ちに基づいてだったのでしょうか。

リンダ・ハッテンドーフ監督:この映画は非常に有機的な形で生まれたの。最初にジミーに会ったのは2001年の冬だった。すごく寒い日で、ジミーが外で猫の絵を描いていたの。私はそれに興味を持ったし、“大丈夫かな”と心配もしたわ。あと、彼が猫の絵を描いていたので話かけてみたの。彼は私に絵をくれて、「明日写真を撮ってくれ」と頼んだので、次の日私はカメラでなくて、ビデオを持って彼のもとに行ったわ。「これはカメラじゃなくてしゃべる写真だから、何かお話ししてください」とお願いしたら、彼はいろいろな話をし始めたので、毎日ビデオを持って彼を訪ねていったわ。ビデオがあると彼は話をしてくれた。なので、最初ビデオというのは、この人はいったい誰なんだろうとか、いったい何が起こっているんだろうということを知るための道具だったわけなの。それから、9.11が起こって、話は全く変わってしまうわけで、もともとは私が登場人物になる予定はなかったんだけど、物事はどんどん変化して、思いもよらない方向に進んでいくことがあるものね。
それから、ジミーの平和とアートに対する貢献度に非常に私は心打たれたの。彼がアメリカのメインストリームには出てこない歴史を、目に見える形で残したいという気持ちにも心動かされた。だから、私のこの映画が、彼がそうした歴史を残したいという気持ちの延長になればいいと思っているわ。

強制収容所での体験について、ジミーさんはどのように語り始めたのかということと、アメリカに対して今、ジミーはどのように思っていらっしゃるのでしょう?

リンダ・ハッテンドーフ監督:ジミーは強制収容所について、絵を描くことで話していってくれたわ。映画の中にも出ているけど、ジミーは自分の描いた絵を見せてくれて、「これが20歳だったときの俺だよ」と言っているシーンがあるけど、そうやって初めて強制収容所のことを知ったの。ジミーは今87歳で、映画の中に出てきたアパートと同じ所に今も住んでいる。そして、今は自分の猫を飼っているの。侍映画を見るのは好きな猫なのよ(笑)。彼のお誕生日会は毎年規模が大きくなっていて、6月15日なんだけど、来年もやるわ。

(ここで、ジミー・ミリキタニ登場。真っ赤なベレー帽に、真っ赤なジャケット)

ジミー・ミリキタニ:今は亡き、荒貞夫先生の歌を聴いてください。
(と「男は泣かず」を歌いだす)

 フォト・セッションでは、ミリキタニ氏が自作の猫の絵を披露。監督は常にジミーを気遣うようにして、一緒に写真に納まる光景がいい。ピース・サインを出して、退場するジミー。

登壇者:ジミー・ミリキタニ、リンダ・ハッテンドーフ監督

(取材・文・写真:Maori Matsuura)

公開表記

 配給:パンドラ
 9月8日よりユーロスペース他、日本全国にて順次ロードショー

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