隣国であるアラブの国エジプトと微妙な和平関係を保っていた1990年代のイスラエル。文化交流の演奏旅行にやって来たエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊が、ある田舎町に迷い込んだ一夜の出来事を詩情豊かに綴った珠玉のイスラエル映画『迷子の警察音楽隊』。民族・文化・宗教・言語の違いを越え、心を触れ合わせる人々を描き、カンヌ国際映画祭、東京国際映画祭をはじめ、世界中で数々の映画賞に輝いた本作を生み出した新鋭・エラン・コリリン監督と、堅物だが心には歌と悲しみを秘めている音楽隊団長を演じたベテラン俳優サッソン・ガーベイが来日、第20回東京国際映画祭の開催中に開かれた記者会見に出席した。
まずは、ご挨拶をお願いいたします。
サッソン・ガーベイ:エラン共々、初めての来日で、とてもうれしく思っています。私たちにとってこれは非常に特別な映画で、世界中で大変温かく迎えられて、私たちも驚くほど好評を得ています。日本の皆様にも気に入っていただけることを願っています。お招きくださってありがとうございました。
エラン・コリリン監督:サッソンが全て、私の言いたいことを代弁してくれました。ここに来られてとてもうれしく思っています。日本の皆様の心にこの映画が深く響くことを願っております。どんなご質問にもお答えしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
アラブとイスラエルを中立的な視点で描いていると共に、エンタテインメント性もある映画ですが、どのように作り上げていったのですか?
エラン・コリリン監督:まず最初に頭に浮かんだのは、制服を着た、規則にうるさくいかめしい男が口を開くと、アラブの歌が飛び出してくるというイメージだった。その後、映画を作り上げていくにも常にそのイメージが頭にあり、それこそがこの映画の真実となったんだ。厳格な外面と情熱を秘めた内面というコントラストを随所にちりばめたいと思った。厳格で感情を抑制し、もの静かだが、心の内にはドラマとペーソスがあり、それが解放されようとしている男というイメージを基本に、映画を作り上げていった。だから、役者の皆さんにも、その内と外のコントラストを忘れないように心がけていただいた。
また、セットを選ぶ上でもそうしたコントラスト、外と内との乖離をイメージしたんだ。つまり、舞台となるレストランの外観はみずぼらしいが、そこでは芸術が語られ詩が語られているね。
1991年というと、イスラエルとアラブの関係に希望が見えていた時代だと思いますが、女主人が、「昔テレビでエジプト映画を見ていた。オマー・シャリフが好きだった」と話しています。監督ご自身、子供の頃にそういったものをご覧になっていたのですか?
エラン・コリリン監督:僕は80年代にイスラエルで育ったけれど、エジプト映画を専門に流すチャンネルがあって、毎週金曜日の夜はやっぱり家族でエジプト映画を見ていたよ。それが唯一、アラブの文化が家に入りこむ時間だった。それ以外でアラブについて聞くことと言えば、紛争だとか悲しいことばかりだった。そんな中で、ラブ・ストーリー、そしてアラブにおける大衆文化を、こういった映画を通して学んでいったんだ。でも、そのようにシンプルな形で異文化に触れる機会も次第に失われていった。ご他聞に漏れず、ハリウッドがだんだんイスラエルを席捲するようになり、エジプト映画を流していたチャンネルも、今はハリウッド映画やスペイン映画を放映するようになっている。
だから、この映画は将来への希望というよりも、かつては存在していたものが無くなった悲しみ、悔恨の念といったものを表したいと思って作ったという面もある。僕はエジプト映画を見て育つ中で、政治的な文脈で映画を作るより、もっと個人的なレベルでメロドラマを作りたい、ラブ・ストーリーを作りたいと思ったんだ。でも、成長してカメラを手にし、映画を作り始めると、自分の気持ちに忠実にやっていくのは難しいということがだんだん分かってきた。だから、僕の中でも先ほど申し上げた矛盾、この映画を作る上で常に念頭にあった矛盾、二面性といったものがあった。一方でメロドラマを作りたいと思いながら、一方ではもっと意識の高い映画を作らなければならないというせめぎ合いもあったね。
サッソンさんは、その頃はどんな青年だったんですか?
サッソン・ガーベイ:確か、若かったと思うね(笑)。私も少年の頃からエジプト映画を見ながらイスラエルで育ったよ。本当にたくさんのエジプト映画を見た。イスラエルではそれ以外、見るものがなかったからね(笑)。だから、エジプト映画は私を形作った文化の一部として確固たる地位にあったわけだ。私は13~14歳の頃から役者になりたいと思っていたので、劇場でも映画を観て、“将来はああいうふうに演じたいな”と思ったりしていた。私はイスラエルのハイファで、両親と3人の兄弟に囲まれて育ったんだ。夢想することが多い少年だったよ。
その夢が叶い、今は大御所になられましたね。あらためて、日本にようこそと申し上げたいです。
サッソン・ガーベイ:こちらこそ、本当にありがとう。
夢は叶えるのは大変だが、いったん実現してしまうと夢は消えてしまうもので、それはちょっと悲しいことだね(笑)。ただ私は、この映画に参加できて本当にうれしく思っている。監督が誘ってくれたことに感謝しているんだ。なぜなら、この映画は私自身の人生、舞台、そして映画の仕事の集大成ともいえるような作品だからだ。この映画を撮りながら、私自身の人生もひと巡りして輪が完結したような思いがした。というのは、私はイラクで生を受けたユダヤ人で、3歳のときに両親に連れられてイスラエルに移住したという経緯がある。そういう意味でも、アラブ文化は私にとって大変馴染み深いものだ。だから、この映画でそれを体現できることは大きな喜びだったよ。
サッソンさん、この作品はイスラエルの映画の中でどのような意味を持っていると感じていらっしゃいますか?
サッソン・ガーベイ:この映画に対するイスラエルの人々の反応は大変良いものだった。「とても感動した」という声を多く聞いたよ。彼らは日頃、大変苛酷な政治的闘争の中にあるわけだが、この映画は、新聞に出ているような政治的な問題以外のレベルで、人間を人間として描いているからね。何の罪もない普通の人々を描いた映画を観て感動し、醜い政治から一時でも離れて、人間そのものを見つめてくれたんだ。この映画は観てくださった方々に大きな慰めを与えたと思うし、互いに意思疎通を図ることの可能性を信じられるようになったという感想も耳にした。その点で、この映画は大きな成功を収めたと思うよ。
サッソンさん、演じる上で気をつけられたことは?
サッソン・ガーベイ:出演が決まり、まず最初に監督から2枚のメモを渡された。1枚はあらすじが書かれたもの、もう1枚には私の役のモノローグが書かれていた。それを読んだ途端に、私はこの主人公と同化できると感じたよ。ほとんど直感的に、彼がどう考え振舞うかが分かったんだ。この主人公はどのような世界でどのようなテンポで生きているのかが分かったし、声のトーンなども即座につかむことができた。この主人公は矛盾を抱えた男だ。四角四面に生きながら、心のうちには苦悩と優しい感情、そして歌を秘めている。そんな彼のことが本当によく理解できたし、大好きになったよ。そんなわけで、監督が私にこの役を与えてくれたことに心から感謝しているんだ。
映画を撮り始めてからも、“彼だったらどのように行動するだろう”と常に考えたし、監督の助力もあったので、とても演技しやすかったね。
初監督作にして、キャスティングにしても音楽にしても、イスラエルの映画史を想起させるものが部分的に入っている気がします。それは意図的だったのですか?
エラン・コリリン監督:この映画を通して言えるのは、イスラエルの古い映画で『コパス・ヴァイ』という作品に対するオマージュであるということだ。その映画のあらすじを簡単に申し上げると、とてもナイーブで美しい心を持ち、人好きはするけど出世は到底望めそうにない警官の話で、それをイスラエルの映画史上でも最も優れた俳優の一人が演じていて、イスラエルでは良く知られた作品だ。その映画を彷彿とさせるような作り方をしたいと思った。イスラエル映画界が今よりもずっとナイーブだった時代の作品であり、先ほどから話に出ているエジプト映画もそういったナイーブな時代のものだと言える。その両者を融合させることが、今作のテーマの一つでもあったんだ。
サッソンさん、アラブ系でありながらも、イスラエルで映画俳優として活躍されていますね。先駆者であるジュリアーノ・メーアさんなどといった俳優の影響は受けていますか?
サッソン・ガーベイ:私は、素晴らしい技量をもった俳優たちと一緒に仕事をするのが大好きだ。ベテランであろうと新人であろうと、素晴らしい同僚と仕事をするということは、本当に大きな喜びなんだ。名前を挙げられた俳優とも一度共演したことがあり、本当に良い経験だったよ。
音楽も効果的に使われていましたが、監督のこだわりを教えていただけますか?
エラン・コリリン監督:イスラエルとアラブの音楽は、その背景にあるさまざまなことを喚起してしまう要素が多々あるために、人々にそういったことを全く想起させない音楽を使いたいシーンでは、アメリカの音楽を使うことにしたんだ。例えば、レストランで夕食をとっているシーンなどだね。最後の場面ではイスラエルやアラブの音楽をかなり使っているが、それは映画のテーマと関わっているのでそうした。カーレドが登場する場面ではチェット・ベイカーの音楽を多く使っているが、それは、カーレドという人物が現実を忘れて、男のファンタジーに生きている瞬間にとても良く合う音楽だと思ったんだ。
サッソン・ガーベイ:ちょっと付け加えたいんだが、これは、ヘブライ語の歌とアラブ語の歌がかなり混然としている映画だね。その二つの他にも、ジャズや他の西洋音楽が共存している。次第に、音楽のジャンルを仕切っている壁のようなものがなくなっていくことに、観ている方たちは気づかれると思う。
登壇者:エラン・コリリン監督、サッソン・ガーベイ
第20回東京国際映画祭開催中に行われた記者会見だが、このときにはもちろん、この『迷子の警察音楽隊』が東京サクラグランプリを受賞することになるとは誰も知らなかった。その後、この作品はそれにふさわしい栄誉に輝くことになったわけが、授賞式ではお二人とも本当にうれしそうで、大興奮していた様子を思い出す。
滋味深い演技を見せる俳優たち、どこを切り取っても美しい映像、心そそられる音楽、詩情と寓意性に溢れた台詞、誰もが心の奥底に秘めている温かな想いと情熱、孤独、密やかな悲しみが観る者の心を浸す、この稀に見る美しい映画をぜひ、できるだけ多くの方々に観ていただきたい。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
公開表記
配給:日活
2007年12月22日(土) シネカノン有楽町2丁目ほか全国順次ロードショー
(オフィシャル素材提供)