『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』と『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』でベルリン、ヴェネチアを2作連続でドキュメンタリー映画で初めて制した名匠ジャンフランコ・ロージ監督最新作『国境の夜想曲』が2月11日(金・祝) よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで全国順次公開となる。
『国境の夜想曲』はジャンフランコ・ロージ監督が3年以上の歳月をかけて、イラク、クルディスタン、シリア、レバノンの国境地帯で撮影した。ここでは2001年の9.11アメリカ同時多発テロ、2010年のアラブの春に端を発し、最近ではアメリカのアフガニスタンからの撤退と、今に至るまで侵略、圧政、テロリズムにより、数多くの人々が犠牲になっている──。
本作のジャンフランコ・ロージ監督と、現在進行形で全米の映画賞を席巻し続けている『ドライブ・マイ・カー』とベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得した『偶然と想像』がどちらも大ヒット上映中の濱口竜介監督とのスペシャルな対談が実現した。昨年のベルリン国際映画祭では、審査員を務めたロージ監督から「濱口の言葉は物質であり、音楽であり、素材なのです」と称賛の言葉を受け取った濱口監督。ロージ監督は前作『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』がベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞を受賞、濱口監督はまもなく開幕するベルリン国際映画祭コンペティション部門の審査員を務めるなど深い縁で結ばれたふたり。予定していた対談時間は30分だったが、あまりの盛り上がりに対話は結局90分に及んだ。
濱口竜介監督とジャンフランコ・ロージ監督の対談内容
濱口竜介監督:『国境の夜想曲』を拝見し、私自身もドキュメンタリーを撮った経験がありますし、映画を作り続けている人間として、素直に驚きました。私はイラク、シリア、レバノン、クルディスタンについて、詳しく知りませんが、国境地帯に自分が連れて行かれたような心持ちになりました。一番驚くべきことは、おそらく普段であれば明らかにしないような部分まで被写体が明らかにしていることです。ロージ監督を信頼しているからだろうと思います。ケース・バイ・ケースだと思いますが、被写体とどのようにして信頼関係を構築したのか教えてください。
ジャンフランコ・ロージ監督:まず私の映画は人がいて、その人が時間・尺を決め、場所と出会うことで成り立ちます。絶対的な何かが起きた場所には密度があり、そこで出会った人々は物語を動かします。その場所と個人の密接な繋がりに私は心を寄せていきます。私とアシスタントのみという少人数のクルーだからこそ、濃密な関係が築けるのです。映画作りにおいて私が一番投資しているものは“時間”です。最初に長い期間かけてカメラを持たずに中東に身を置き、人との出会いを待ちました。
国境とは曖昧な線であり、私が出会った人々が抱える葛藤、生と死もはっきりしない薄い線で引かれています。例えば松尾芭蕉のように、観察によって永遠化して情景を捉えるのが俳句であり、引き算の美学と言えます。「比喩のない映画は映画ではない」と私は思っていて、映画言語を伝える上で、俳句のように何を永遠化し提示するかを考えています。人を待ち、お互いを知り合う時間を待ち、何かが起きるまでを待ち、天気も待ちました。雲があれば、360度どのアングルでも撮ることができるので。でも、中東ではくもりの天気の日はあまりありません。そのせいで、3年間かかったのかもしれません。
濱口竜介監督:近道はなく、これだけのことをしなければ、あの映像をカメラに収めることはできないのですね。一方で3年かけて撮った映像素材を編集することは、気が遠くなるような苦労があるのではないでしょうか。
ジャンフランコ・ロージ監督:撮ったのは80時間くらいなのでそこまで膨大ではありません。『国境の夜想曲』には6~7の違う物語がありますが、すべて赤い糸で繋がっています。まず、撮影時の経験に捉われずに、何を優先すべきか判断する。そして、ひとつの話や人物に感情移入せず、ミステリーは残しつつ、うまく次の話に繋げるのです。空白、沈黙を作り、静寂が次に繋がるようにさせる。編集には5ヵ月かかりました。他の作品は1ヵ月ほどですが、これだけかかったのは、引き算、情報を減らす時間がかかったからです。ドキュメンタリーは「答え」を与えてはいけません。観客の解釈に委ねる余地を残すことに腐心しました。
濱口竜介監督:事前の観察という準備、撮影時の待機の時間、引き算による編集、そのすべてがそれぞれ繋がっているんですね。そのすべてがひとつの信念に貫かれて作られているということが分かって本当に身が引き締まる思いです。
インタビューで、「あなたの画面は本当に美しい」という言葉に対してある種の反論として「自分自身は単なるドキュメンタリーを撮っているのではなく、映画そのものを撮っている」とおっしゃっていました。実際にその通りのものができていると思いますし、自分もフィクションとかドキュメンタリーではなく、そういうものが撮りたいと思っています。この場合、映画とは何かという根源的な問いが生まれますが、それでは範囲が広すぎるのでロージ監督が見て育ってきたイタリア映画についてお話しいただけますか?
ジャンフランコ・ロージ監督:長編を自分で撮るならば、ロッセリーニ、(ヴィトリオ・)デ・シーカ、カサヴェテスがまさに私の師、リファレンスになると思います。ロッセリーニ監督は、スクリプトに書いてあることが非常に少なかった。デ・シーカ監督は、リアリティを捉え、実際の人を起用します。非常にドキュメンタリーに近いフィクションを作った、とても素晴らしい監督です。「リアリティを変換する」にはやはりメソッドが必要です。ロッセリーニ、デ・シーカ、カサヴェテスそして小津はそれに長けた監督です。また、カメラを置く場所には責任を伴い、美的責任を負います。距離感がそのままストーリーに反映され、真実がそこに宿るのです。
この作品では新たな映画言語を作り出すことに挑戦しました。濱口さんの作品も、脚本、言語、形式、光、編集、といったフィクションの手法だけではないものを感じます。すごく強い素晴らしい脚本はあるが、それとは別のバージョンがあるような気がするのです。現場で何か生まれたならばその瞬間を融合してしまう、違う方向に行ってもそれを受容する自由度を感じます。ある意味、確固たる脚本があるからできることだと思います。
濱口竜介監督:自作についてロージ監督にそのような言葉を頂いて本当に嬉しく思います。私もカサヴェテス、小津、ロッセリーニが大好きです。ロージ監督が一作ごとに新たに映画言語を発見しているというは本当にその通りだと思いました。『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』も素晴らしい映画でしたけれども、『国境の夜想曲』も見直すたびに新たな発見があり、世界の広がりを感じます。素晴らしい映画だと思います。その作り方を伺えて本当に嬉しく思います。大きな学びになりました。
公開表記
配給:ビターズ・エンド
2/11(金・祝)より、Bunkamura ル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国順次ロードショー!
(オフィシャル素材提供)