持続可能な生活を追った映像人類学のドキュメンタリー映画『森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民』。本作は、6ヵ国語を自由に話し、文字のないムラブリ語の語彙を収集する、言語学者・伊藤雄馬とともに足かけ2年、ムラブリ族を追ったドキュメンタリー。来週の公開を前に、本作監督の金子 遊のオフィシャル・インタビューが届いた。
【監督・撮影・編集】金子 遊
映像作家、批評家。多摩美術大学准教授。
劇場公開映画に『ベオグラード1999』(09)、『ムネオイズム』(12)、『インペリアル』(14)。近作『映画になった男』(18)は東京ドキュメタリー映画祭、田辺・弁慶映画祭などで上映。プロデュース作『ガーデンアパート』(18)はロッテルダム国際映画祭、大阪アジアン映画祭で上映された。『森のムラブリ』(19)が長編ドキュメンタリー映画の5作目。
著書『映像の境域』でサントリー学芸賞<芸術・文学部門>受賞。他の著書に『辺境のフォークロア』『異境の文学』『ドキュメンタリー映画術』『混血列島論』『悦楽のクリティシズム』など。共編著に『アピチャッポン・ウィーラセタクン』『ジャン・ルーシュ 映像人類学の越境者』、共訳書にティム・インゴルド著『メイキング』、アルフォンソ・リンギス著『暴力と輝き』など。ドキュメンタリーマガジンneoneo編集委員、東京ドキュメンタリー映画祭プログラム・ディレクター、芸術人類学研究所所員。
金子さんはいろいろな活動をされてきましたが、その中でも本作制作に至った今までの活動を教えてください。
基本的には、僕は物書きで本を書く、批評家でフォークロア研究者です。その一方で、仕事や個人的な創作としてドキュメンタリーを中心に映像作品を撮り続けてきました。思えば、学生時代の1998年に16ミリで撮りはじめ、その後2008年まで10年間8ミリで撮影していったフィルム日記『ぬたばたの宇宙の闇に』(08)が、すでに石狩河口、奄美大島、喜界島、徳之島、ヨルダン、イラクを旅しながら撮ったフィールドワーク映画でした。2012年にパレスチナで、2014年に西ヒマラヤやミクロネシアで人類学的な映像を撮影したあたりから、映像人類学を意識するようになりました。ただ、そうした短編を完成したとしても、映画祭で上映し、トークイベントや大学の授業で資料映像として見せ、あとはWeb配信して終わりでした。ところが、今回のムラブリ族に関しては、ラオス側でまだ誰にも撮影されていない森の民の生活が残っていると聞いて、どうしても長編ドキュメンタリーにしなくてはと思ったのです。
ムラブリ族に興味を持ったきっかけは何ですか?
ひとつは、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『トロピカル・マラディ』や『ブンミおじさんの森』といった映画を観たことですね。タイには何度か行っていましたが、イサーン(東北タイ)のピー(精霊)や民間信仰にも興味が向くようになりました。北タイの森に住み、まさに精霊と呼ばれてきたのが森の民であるムラブリ族だったのです。僕は若い頃から文化人類学や民俗学に関心があり、オーストリアの民族学者ベルナツィークの『黄色い葉の精霊』を翻訳で読んでいました。近年、雲南省からインドシナ半島やインド北東部にかけてのゾミア(山岳地帯)に住む少数民族をフィールドワークすることが多かったのですが、彼も1930年代にその地域を旅していた。そして、森の中で狩猟採集をして暮らし、半裸でノマド生活をしていたムラブリ族のことを彼の本で知りました。
言語学者・伊藤雄馬さんと出会った経緯を教えてください。お会いしてどう思いましたか?
国際交流基金のアジアセンターのフェローシップをもらったので、2017年2月から3月にかけて、通訳兼ガイドや運転手を雇えるような、お金をかけたフィールドワークをすることができました。タイのウィチット・クナーウット監督が撮った『山の民』(79)という映画がありますが、そこにはタイ北部からミャンマーのシャン州にかけて暮らす、アカ族、ラフ族、ヤオ族といったゾミアの少数民族たちの伝統的な暮らしが活き活きと描かれています。その映画を契機にしてフォークロアの研究を深めるため、山地民におけるアニミズム的な宇宙観やシャーマニズムについて、実地にまわって宗教儀礼や信仰を調査して歩いたのです。その流れでタイ北部のナーン県へ行き、ベルナツィークの本だけで知っていた、実際どこにいるかも分からないムラブリ族を探し歩きました。運良くムラブリの村を知っているタイ人の旅行会社の中年女性と出会い、たくさんのおみやげをピックアップのトラックに積んで会いに行きました。すると、タイ側のムラブリ族の人たちが定住生活をしているフワイヤク村で、ちょうど住み込みで言語調査していた伊藤雄馬さんに出会い、意気投合したというわけです。その時も、ムラブリ族の人たちの学校を見学したり、長老やおばあさんたちに昔の森の生活についてインタビューしたり、バナナの葉と竹で寝床をつくるやり方をカメラの前で再現してもらったりして、『黄色い葉の精霊』(17)という短編作品をつくりました。農耕民族であるまわりの少数民族とちがい、タイ側のムラブリ族もつい20~30年前まで狩猟採集をしていた人たちで、とても強い関心をおぼえました。
本作を製作する上で伊藤雄馬さんとの出会いが大きかったと思いますが。
確かに撮影と編集はすべて僕が担当し、インタビューをするために質問して、誰に何をしてほしいか、ドキュメンタリー的な「誘導」をしたのは僕ですが、伊藤雄馬さんも等しく共同制作者だと思っています。というのは、最初にタイのフワイヤク村で会ったとき、伊藤さんから「嫌いあっているムラブリ同士を会わせてみたい」と聞かなければ、『森のムラブリ』の重要なストーリー・ラインは生まれなかったでしょう。それ以上に重要だったのは、2018年に主だった撮影をしたとき、すでに伊藤さんはフワイヤク村に10年以上通い、その場に寝泊まりしながらムラブリ語を習得し、ムラブリ族の人たちから信頼を勝ち得ていた。彼とフワイヤク村の人たちの間の信頼関係がなければ、ピープレッの語り聞かせも、芋掘りやバナナの葉でつくる家の再現シーンも撮れなかったと思います。伊藤さんのこの映画における貢献は、到底「出演」や「通訳」といったクレジットで表現できるものではありません。
現地での撮影はどのように進めていったのでしょうか?
ラオスの森でノマド生活をするムラブリ族を探すこと、そして、人食いだと言って互いに嫌い合っているムラブリ族の人たちに100年以上ぶりに再会してもらうこと。この2つは大方針として決めていました。あとはフワイヤク村やドーイプライワン村、そしてラオスの森の現場に入り、「このような場面が撮れないか」と僕が提案し、伊藤さんがタイ語やムラブリ語やラオ語を駆使して現地の人たちに働きかけ、協力を求めていくというプロセスを重ねていきました。
ラオスにおける森の民としての生活が撮れなければ、長編ドキュメンタリー映画として成立しないことは分かっていたので、あまり積極的ではない伊藤さんを説き伏せて、地元の村の若い人をガイドとして雇い、登山に出発するまでが大変でしたね。確かに言葉は通じなかったけれど、逐一、伊藤さんが通訳してくれるので、ラオス側のムラブリたちの人柄や人間関係は把握していましたし、言葉の抑揚や身振り手振りのニュアンスで何を言っているかは分かりました。ですので、あとは体をいい位置に入れて、より良いショットを撮ることに集中するだけでした。ムラブリ族同士が対面するラスト・シーンでは、何か化学反応が起きることは予測していたので、撮影者としての私は気配を消して静かにカメラを回すだけでした。
監督として演出はしたのでしょうか?
タイ側のフワイヤク村に暮らすムラブリ族はムラブリ語を話しますが、僕が質問をして伊藤さんに通訳してもらいながら、パーさんから創生神話を集めたり、ロンさんに歌をうたってもらったり、ドキュメンタリー的な取材を進めました。もちろん、すべてカットしていますけど、フンドシおじさんに森でバナナの葉で寝床をつくる再現をしてもらったときに、「ラオスのムラブリについてどう思うか聞いてください」という形で、彼らから人食い伝説を引き出していったのも、裏で私がそのような指示を出しているのです。旅の途中で、最初は通訳兼コーディネーター的な役割だった伊藤さんをフレームの中に入れて、メインの登場人物にすることに決めました。そうしたら、観客があたかもその冒険に立ち会っているかのような臨場感を出てきた。それは、ジャン・ルーシュ的なシネマ・ヴェリテの手法、つまりはインタビューアーや撮影スタッフをわざとフレーム内に入れ込み、撮影している現場の生々しさを作品内に持ちこむことの自分なりの応用だったと言えます。
言語学のフィールドワークとちがい、ドキュメンタリー映像の撮影の場合、ただそこに座って待っていれば、カメラの前で何かが起きてくれるわけではない。現場で「演出」まではしませんが、一定の「誘導」をしないと何も起きない場合が多くあります。たとえば、夜になると焚き火の前で、ムラブリの人たちが昼間とちがうテンションになることが経験上分かっていたため、あまり気の進まない伊藤さんをうながして、半分眠りかけているムラブリの人たちの寝床を訪問していきました。伊藤さんがムラブリ語でブンさんに話しかけていたとき、ブンさんのなかで記憶のトリガーが引かれて、急に「クルオール」と呼ばれる蛇を捕まえて食べた話を興奮した様子で話しはじめた。普段はラオ語を使っている人が、伊藤さんが触媒になったおかげでムラブリ語の舌が動きはじめたんですね。そんなふうに「誘導」をしているので、『森のムラブリ』に映っているのは、普段のあるがままの彼らの姿ではないかもしれません。それは撮影者やカメラが介在して引きだすことによって、より鮮明に見えるように掘り出された彼らのもうひとつのイメージだといえるでしょう。
撮影後のポスト・プロダクションでは、日本語のドキュメンタリーとは違う工程があったかと思いますが、どのような作業がありましたか?
現地で書いたフィールドノートと自分の記憶をたどり、ムラブリの人たちがだいたい何を言っているか分かる程度の状態のまま、シークエンスごとにまとめるアラ編をしていきました。そして、その映像を伊藤さんに見せて、どんな会話をしているのか通訳してもらった。すると、ほとんど自分が想像していたような会話だったので驚きました。それで2時間くらいに構成したバージョンにまで削っていった。それを今度は伊藤さんに詳細に翻訳をしてもらい、それを元に編集して完成にまでもっていった。2019年12月の「東京ドキュメンタリー映画祭2019」におけるお披露目上映になんとか間に合いました。その後は日本語の字幕をもとに、伊藤さんと若い人で英語字幕に翻訳してもらい、それが世界各地の民族学映画祭、人類学映画祭、先住民映画祭で上映されていったという流れです。
ラオス側のムラブリ族には、まだ森の生活が残っていますが、彼ら彼女たちは日常的にはムラブリ語を話さなくなっており、ラオ語の話者になっています。数時間山を登った森にある、もっとも人里から近いフワイハーンという野営地のシーンでは、カムノイさんとリーさんの夫婦ゲンカが代表的な例ですが、刻一刻と目の前で事件やできごとが起きていったので、とにかくそれを映像におさめることで精一杯でした。ですので、あとで翻訳してもらって「そんな会話をしていたのか!」とわかって、にんまりすることも多々ありました。
本作の見どころはどこだと思いますか? どういう方に興味を持ってもらえると思いますか?
森の民であり、狩猟採集民の伝統的なライフ・スタイルを持つムラブリ族は、都市で暮らす私たちとも違うし、平原に住むタイ人やゾミアに住むモン族などの農耕民とも異なっています。お腹がすいたら森のなかで小動物や魚をとり、芋やタケノコを掘って食べてきたムラブリには、それを未来のために保存しておこうという考えはない。ラオス側では、農耕民のように作物を計画立てて育てていき、それを国家に徴税としておさめたり、貨幣に変えて必要な日用品を購入するという貨幣経済には取りこまれていない。その代わり、独特の交易方法はもっていて、森で採ったものをラオ人の村へ持っていき、それを米やタバコなどと物々交換している。それから贈与経済と言えそうなものもあります。これは『森のムラブリ』の映像にも映っていますが、手に入った食料とかつくった食事をすべて、その野営地にいる人たちと平等にシェアしていました。これは食べ物が手に入らないときにも、互いに食料を分け合って生き抜こうとする、狩猟採集民ならではの知恵でしょうね。
私たちには農耕民から発展して、余分なものを生産したり剰余として蓄積し、それを富として蓄え、そこに王や貴族や富裕層などの特権階級が生まれ、技能集団が発達し、国家のシステムが整備されていった歴史がある。その行き着く果てが、私たちの住む資本主義経済の社会であり、それが文明の不可避な発展方法だと思ってきました。ですが、人新世の議論にあるように、化石エネルギーを使いすぎて気候変動が起き、巨大地震や津波で原発事故があって、国々は軍拡競争をしてミサイルをどんどん飛ばしています。つまり、農耕的な世界観と資本主義経済に支えられた現代の価値感のままでは、人類全体が破滅に向かっていくだけだということが分かってきました。
そんなときに、ムラブリのような狩猟採集民の生活を観察してみると、おおげさな言い方ですが、人類の未来のためにそこからいろいろなことが学べると思います。もうひとつのオルタナティブな生き方の秘密がそこにあるような気がしました。たとえば、ムラブリがノマドであり、遊動生活をするのは、その場にある芋や魚や果物を取り尽くさないためですね。別の場所に移動して、しばらくして戻ってくると自然環境がおのずと回復しているわけです。日本では縄文時代から続いてきたような自然と調和し、持続可能な生活というものを狩猟採集民から学べるわけです。『森のムラブリ』という映画は、人類がこのままの生活ではいけないという問題意識を持った、すべての人たちに何かを投げかけられる作品だと思います。
読者の方々へのメッセージをお願いします。
特に21世紀に入ってから、あきらかに地球環境の変化が顕著になっていると思います。火山が噴火し、台風や水害が頻繁に起き、地震や津波や山火事などの自然災害が世界中で見られるようになりました。神の見えざる手なのか、増えすぎた人類全体をターゲットにしたようなパンデミックが蔓延し、もう2年以上ものあいだ日常生活が戻ってきていない状態です。そんな中でヨーロッパで戦争が起きて、核戦争や世界大戦の危機まで言われるようになり、難民になってしまう人たちが大量に出ています。今までの人類の文明の発展は何だったのかと思えるくらい、絶望的な世の中になってしまいました。
ですが、私はムラブリの人たちを撮影し、この映画をつくる中で、ちょっと安心したんですね。家をなくし、電気やガスを失い、電気製品がなくても、きれいな川と森があれば、人間は豊かに生きているんだなということが分かったので。彼らや彼女たちの姿を見て、物に囲まれていることが、そんなに重要ではないんだと気づきました。
しかも、森の民には労働をして金を稼ぐ必要がないので、みんな時間に追われることなく、明日の心配をすることもなく、ごろごろとダラダラと今を満喫して生きている。会社や学校で大変な思いをしたり、人間関係の中で何か嫌なことがあってストレスをおぼえたりしたときに、ふとムラブリのことを思い出し、森の中にいる時のように深呼吸をしてみると、ちょっとだけ息苦しい現代社会から距離を置くことができる。そして、すべてを捨てて、いつでも豊かな森で流浪の生活を送ってもいいんだと思えると、気が楽になる。そんなリラックスできる映画でもあるので、思いついた時に近くの森にのんびりするために出かける時のように、映画を観に来てもらえたらと思います。
(オフィシャル素材提供)
公開表記
配給:オムロ 幻視社
3月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開