現在ハリウッドを拠点に活躍する、『あずみ』『ルパン三世』、そしてジャン・レノ主演『ドアマン』の北村龍平監督が、その作風と世界観で熱狂的なフォロワーを持つ髙橋ツトムの代表作『スカイハイ』のスピンオフ作品『天間荘の三姉妹』を映画化。いのち、ひとの生と死、家族や近しい人たちとのつながり、など誰にとっても他人事ではないテーマを、観る者の心に問いかけながら見つめていく映画『天間荘の三姉妹』。10月22日(土)にロケ地の一つにもなった宮城県で舞台挨拶付き試写会が行われ、監督の北村龍平、原作者の髙橋ツトム、仙台市長の郡 和子、女川町長の須田善明が登壇した。
東日本大震災をきっかけに、少しでも鎮魂になればと覚悟を決めて描き始めた髙橋ツトムの「天間荘の三姉妹-スカイハイー」が原作の本作。監督を務めた北村は、「震災が起きて半年くらいたって、僕が20年来兄弟と呼んでいる髙橋ツトムさんと食事をした時、『大変なことが起こっている。だけれど、人間というのは、その場にいないと忘れてしまう。年月が経ったら忘れてしまう。自分はものを、メッセージを描いて世に放ち、想いを伝えてきた人間だから、僕はこの出来事に対して、メッセージを込めた物語を描くんだ』という話をしてくれました。僕はその言葉にとても感銘を受けました。その2年後にはじまった連載が、この『天間荘の三姉妹』です。彼にしかできないやり方で、ファンタジーという普通ではない発想でこの物語を描いてくれていて、僕は、彼が生み出した愛してやまないこの物語を“映画”という違った表現で世に放ちたいと思いました。生半可な気持ちで扱っていい物語ではないという覚悟を背負って、8年かけて、執念で実現した映画です。僕は普段緊張しないのですが、初めてこの映画を宮城の方々に観ていただく今日ばかりはさすがに緊張しています。来週から全国公開となるのですが、その前に、なんとしてでも本作を宮城の方に観ていただきたかった。礼を尽くさないと、全国公開などできないと思っていました。復興支援センターの方々などの多大なる協力を得て、この場に立てていることを本当に幸せに思います」と、宮城の方への挨拶と共に、本作に対する並々ならぬ熱い想いを語った。
髙橋は、「この問題を扱う作品を描くことは、正直本当に怖かったです。ですが、止めることのできない衝動に駆られて描きました。なぜそこまでやったのかというと、どんなドキュメンタリーを作ってみても、亡くなった方たちの声を聴くことはできないからなんです。どうにかして、そこに(亡くなった方々の)言葉がある、想いがあるということを描いてみたくて、信じてみたくて、挑戦させていただきました。僕が一番最初に手を挙げてこの物語を走りださせたのですが、それは、とても力のいることでした。扱っていいものなのかも分からない。ですが、僕がビビってしまってはダメだと思って全開でいきました。すると、それに応えてくれる人が現れるんです。8年の歳月をかけてこの映画をここまで持ってくることができました。本当に嘘のない作品です。想いを届けたいという純粋な気持ちだけで向き合ってできた作品です。今日はご挨拶に来られて、とても嬉しいです」と、原作者として、覚悟をもってこの作品に向き合い続けてきたことを明かした。また、執筆に至るまでの経緯を「大勢の方々が亡くなったというこの出来事をどう描くか、ということを考えたとき、自分にはこれまで描き続けてきた『スカイハイ』というシリーズがありました。これは、亡くなった方が魂の行き先を悩み、そして決めるという物語です。その時、一度に大勢の方の魂がやってきた場合は一体どうなるのか、ということを描くべきだと考えてそこからスタートしました」と知られざる制作秘話が明らかに。
北村監督は、震災から10年以上が経った今、本作を制作した理由について「先程(髙橋)ツトムさんがおっしゃってくださったように、この題材にフィクションという形でふれることはとても怖いことだと思うんです。でも、この男(髙橋)の情熱によって、震災からわずか2年後にこの作品が世に放たれたんです。今日映画を観ていただいた方には分かると思いますが、決して僕たちは簡単な希望でこの題材を作ったわけではありません。ツトムさんの強い気持ちを僕が映画という形で引き継ぎました。映画というのは、大変な人手とお金と情熱と年月が必要ですが、それ故に多くの不純物が入り込みやすいものなんです。でも、この作品に関してはそうはしたくなかった。僕のパッションやクリエイティビティを一緒に守ってくれる方たちだけでやりたかったんです。僕はこの作品を映像化する覚悟をきめた8年前からずっと動き出すタイミングを考えていました。そこから時間が経ち、今から3年前、僕の妹のような存在である嶋田うれ葉と一緒に仕事をすることになりました。彼女は、NHKの連続テレビ小説『エール』の脚本を担当することになっていて、ちょうど世間に広く知られていった時期でした。うれ葉と一緒に仕事をするならどうしてもやりたい作品がある、と伝えて本作の原作を渡したところ、彼女が、『今だ!』と背中を押してくれたんです。そこに、真木太郎プロデューサーと和田大輔プロデューサーが加わって4人になりました。そして先程ツトムさんがおっしゃていたように、人は年月が経てば物事を忘れます。毎年3.11になったら震災の特集はありますが、僕たちはそうじゃない。ちょうど10年になったから作ったわけではない、ということで、11年目となる今年に、世に出すこととなりました」と本作の完成までの長い道のりを回顧した。
本作のテーマの一つである「想いはつながっている」というテーマにからめ、本作を通して伝えたいメッセージについて問われると、北村監督は「僕は子どもの頃に産みの親を亡くしているんです。子どもの頃に経験した喪失というのは、その後とてつもない孤独感を与えます。でも、いつのころからか、ずっと母親に守られている気がしていて。そしたら、育ての母親が僕の目の前に現れてくれて、今でもちゃんと僕のことを愛してくれているんです。それこそが、ツトムさんが原作で描かれたこと、『人は死んでも終わりではないんだ』ということだと思うんです。それを僕が信じることができたからこそ、この原作を引き受けることができたのだと思います」と回答。それを受けて髙橋は、「僕は忘れるということが一番いけないことだと思うんです。想う、ということで何かが生まれ、空気が動きます。一瞬だけでも、思い出すためのきっかけになっていただけたら嬉しいです」と語り、この作品を通じて、同じ想いを共有していた。
ここで仙台市長の郡 和子、女川町長の須田善明が登壇。郡市長は「皆さんと一緒にこの作品の完成をお祝いすることができてとても光栄です。この映画そのものは“生きる”ということを問う作品になっていますが、その中で、ロケ地となった仙台の美しさも併せて感じていただくことができたのではないかと思います。多くの方々に、ロケ地を訪れていただき、震災のことを改めて思い返すきっかけになってほしいです」、須田町長は「上映後は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、この場に立てるか不安でした(笑)。脚本の嶋田うれ葉さんと女川町は、震災後にいろいろなご縁でつながりがあり、製作時には北村監督や真木プロデューサーや和田プロデューサーにも何度かお越しいただきました。当時は一体この原作がどう映像化されるのか、想像もつきませんでしたが、今日その答えが分かりました。喜びも悲しみも希望も絶望も、いろいろな感情が交じり合って、ひとつの純粋な想いになっていました。“自分たちの作品”として、多くの方に観ていただけるよう、育てていきたいです」と語り、震災を経験し、制作時から深いゆかりのあった本作の完成を大いに喜んだ。
さらに特別ゲストとして、アイリンブループロジェクトの語り部として、お花を通して命の大切さについて講演している佐藤美香が登壇し、髙橋、北村監督、郡市長、須田町長それぞれに花束を贈呈した。
最後に、北村監督が「温かい拍手をいただけて、僕もツトムさんもとても救われています。8年がかりで作った作品をようやく届けることができて、光栄に思います。宮城の皆さんの応援がなければ、作ることもできなかったし、こんなに誇りに思える作品にすることもできませんでした。僕は初めて宮城の方々にあったとき、『なんてロックなんだ。なんてアツい方たちなんだ』と思いました。この映画にはそのパッションが込められています。この映画が広がっていくことで、この作品に込められた想いが世界中の人に届くと思っています」と締めくくり、温かい拍手につつまれながらイベントは幕を閉じた。
登壇者:北村龍平(監督)、髙橋ツトム(原作者)、郡 和子(仙台市長)、須田善明(女川町長)
(オフィシャル素材提供)
公開表記
配給:東映
10月28日(金) 全国ロードショー