2019年7月15日、安倍元首相の遊説中に、市民が政権に異議をとなえただけで警察に即座に取り囲まれ移動させられた“ヤジ排除問題”は、表現の自由、民主主義がおびやかされたとして当時大きくメディアで報道された。その後、北海道放送が「ヤジと民主主義」というドキュメンタリー番組をTVで放送し、ギャラクシー賞や日本ジャーナリスト会議賞をはじめ数々の賞を受賞し、2022年には書籍化、そして2023年春には「TBSドキュメンタリー映画祭」にて『劇場版 ヤジと民主主義』というタイトルで上映。ヤジを飛ばしたことによって排除された市民2人が原告として警察側を訴え、1審は勝訴したが高裁では判断が分かれ、双方が上告し裁判は続いている。本作はテレビや書籍では描けなかった当事者たちの思いも追加取材し、『ヤジと民主主義 劇場拡大版』として12月9日(土)より全国公開が決定している。
排除された「小さな声」は何を暴いたのか?
現在も続く裁判の経過の他、2022年7月8日に発生した安部元首相の銃撃事件以降、市民が政治家に直接声を届けられる唯一の場所である街頭演説中に、“警備”という名のもとに、市民が声を上げることの権利が加速度的に奪われていってしまうのではないかといった民主主義の崩壊を招きかねない危険や不安を提起している。
本作の公開に先駆けて、日本を代表するノンフィクション作家であり、ジャーナリズムにも深くメスを入れるジャーナリスト、青木 理氏と、HBC放送の社員であり、ディレクターとして、ジャーナリストとして本事件を追い続けた山﨑監督の対談が実現した。
山﨑監督は、「北海道放送報道部でデスクをしている山崎と申します」と挨拶をした後、「本作は警察の過剰警備や表現の自由をテーマにしていますが、ヤジやスト、デモなど労働者の当たり前の権利を主張することがなかなかできなくなっていて、そんな社会になりつつあることを私たち自身が許してしまっている危機感を感じています。この映画を“ヤジは迷惑だ”と感じている方にこそ観ていただき、対話のきっかけになって欲しいと思っています」と挨拶をした。
ゲストの青木氏は「今日は鑑賞者としてお邪魔しましたが、完全版を初めて拝見し、素晴らしいというのも変ですが、こういったドキュメンタリーが映画として観られるのは社会にとって意味のあることだと思います。ヤジを発した人の小さな声が、いろいろなものを暴いたのだと思いました。日本社会の空気なようなものも暴き、この作品によって問題の所在が明らかになってきたなと思います。そして暴くきっかけとなった声を精緻な取材をして我々の目に見せてくれた監督、制作者の皆さんに敬意を表したいと思います」と感想を述べた。
今回のヤジ排除に関して上層部からの指示はあったのかと言う問いに対して、山﨑監督は「今回の取材では明らかにはならなかったのですが、警察官は無線を耳にして誰かの指示を受けて行動していることは明白なので、どこかのレベルで指示があったとは思われます」と推測した。さらに「秋葉原で安倍元総理がヤジを飛ばす人を“こんな人たち”と表現した時から、“ヤジは選挙妨害だ”と自民党から盛んに発信されました。ヤジに対してとても警戒していましたが結局は選挙妨害として摘発はできない。と言うのは、選挙妨害を立証するには映像などで<妨害していること>を証拠として出さなければならないのです。だけどヤジを飛ばさせたくないと言う意図から今回の形になったのではないかと思います」と語る。
映画で暴かれたさまざまなポイントについて、青木氏は「僕自身の経験から、本編で原田さん(元北海道警察幹部)も指摘されていましたが、滑稽なまでの排除をした警察の内部でどういった力学が働いていたのか。推測にはなりますが、上層部からの指示がなければここまでやらないと原田さんもおっしゃっており、警察という組織の体質を考えればその通りだと思います。では何が起きていたのかを我々は考えなければならない。それが官僚組織の安倍政権への忖度なのか、上司からの忖度があったからなのか……」と疑問を呈した。
さらに話は警察権力の知られざる脅威にまで及び、青木氏は「実態は推測の域を出ませんが、警察組織は長い歴史を見ると戦後は自治体警察として再出発しました。ところが中央集権的な警察機構に戻したいという内部の動きもあって、警察庁を頂点とする中央集権制の高い組織になってきました。その中で特に警備公安警察がその傾向が非常に強いという点があります。この作品が提起するように、政治と警察の距離を真剣に考えなければならない、今まであまり議論されてこなかったのであえて申し上げますが、安倍政権はかなり異例、戦後初めてといってもいい警察政権でもありました。戦後の日本の警察機構は公安委員会制度を登用しました。これはとても重要なことで、政治が警察機関をコントロールし始めたら大変なことになる。逆に警察という強大な権力を持った暴力装置が政治に口を出し始めると非常に怖いことになる。特に警備公安警察で言うと凄まじい情報量を持っているわけですから。政治と警察のある種のクッションとして公安委員会制度がある。しかし安倍政権下で警察官僚が深々と政権に絡んだことで、推測ですが今回のような非民主主義的なことが一つの病理として起きたとも言えますし、警察権力を表すものの代表例として、政権のスキャンダルとなった加計学園問題をめぐって告発しようとして文部科学事務次官が歌舞伎町の出会い系バーに行っているというという情報が出たのは何故だろうか、それが警察、あるいは公安から出たと考えることは奇想天外でもない。あるいは断ずることはできませんが、政権と近かったメディア記者になぜ逮捕状が出ていたのに執行されなかったのか。警察権力、政治権力で押さえ込まれたのではないか。そういう推測が出る社会は非常に不健全だということなんです。その一つの表出が今回の北海道のヤジ排除問題だったのではないかと思います。僕の中でもこのような問題がずっとわだかまっているんです。」と今の日本社会の実情と心中を語った。
本事件を4年間追い続けたモチベーションについて問われた山﨑監督は、「この問題を最初に報じたのは本日もお越しいただいている朝日新聞の斎藤さんでした。第一報で警察を批判するような記事を出す勇気は素晴らしいと思います。我々は遅れた形で追いついたのですが、“放っておいたら大変なことになるのではないか”と思って取材を続けました。続報を出していくうちに気がつくと他局が報道しなくなっていた。我々だけが続けていて、我々が辞めると特にテレビはどこも検証しなくなると思い、やり続けた結果です」と語った。
さらに青木氏は、「吃音に悩まれている女性、少数派を排除しようとする日本の社会に違和感を感じている男性、僕自身、どこかの活動団体の方かとも思いましたが、映画を観たら全く違う。今年このお二人とシンポジウムでじっくりお話させていただいたのですが、本当に真面目に地道に一生懸命生きようとしていて、弱い人々に優しい向ける人たちでした。そう言う方々が必死に声を上げたと言うのはある種彼らは“炭鉱のカナリア”なのかなと思いました。小さいけれど声を上げただけで“迷惑だから排除”するというのは、どう考えても生きづらくなるということを痛感しました。そしてこういうことが社会のあちこちで蔓延しているのではないかと思いました。我々は小さな声に目を見張って耳をそばだてないといけないですし、その中でのメディアの大切さを痛感しました。」とメッセージを送った。
話は先月10月14日徳島にて、岸田総理に対して「増税するなら宗教法人にしろ」などとヤジを飛ばした男性に対する警備の話にも及んだ。山﨑監督は「徳島県警の警察官が集まり、自制を促したように見えて問題が分かりにくいですが、専門家(刑事訴訟法・警職法を研究している教授ら)に確認したところ、ヤジ自体は犯罪行為でも危険行為でもない上、不審を抱いて職務質問をするという行為もなしに制するというのは職務質問を上回る不利益行為を行なっていると指摘があり、さらに安倍元総理の銃撃事件も相まって、“街頭演説はおとなしく聞くものだ”と言う風潮が広まってしまって警察の過剰警備に気づいていない点にも問題があるのではないか」と言及した。
最後に質疑応答として、活発に意見が飛び交った。フリーライターの江川紹子さんや、北海道ヤジ排除問題を最初に報じた斎藤記者からの質問があり、1時間の非常に有意義な記者会見となった。
登壇者:青木 理、山﨑裕侍監督
公開表記
配給:KADOKAWA
12/9(土)よりポレポレ東中野、シアターキノほか全国順次公開
(オフィシャル素材提供)