登壇者:大森立嗣監督
聞き手:谷 昌親
琵琶湖にほど近い介護療養施設・もみじ園での老人の不審死事件を発端に、想像もつかない方向へと物語がうねり出していくヒューマン・ミステリー『湖の女たち』が絶賛公開中。
この度、さまざまな映像制作者や監督たちをゲストに招き、制作にまつわる話や制作意図や経緯を語る早稲田大学の人気授業「マスターズ・オブ・シネマ」に大森立嗣監督が登壇した。
『セトウツミ』を視聴した学生を前に、大森監督の作品履歴の話が始まると、谷教授より「世の中からちょっとはみ出ているようなキャラクターを描くことが多いのでは」という質問を受けた大森監督は「普通にある“社会”に、なかなかうまくはまり込めない人たちに興味がある」と答え、「ちょっと話が大きくなりますが、法律や道徳、慣習があって、その中で我々は複雑に生きているんです。でもそこに息苦しさみたいなのを感じた時に、社会の外側にいる人たちが見つめてる景色によって、少しホッとしたり、綺麗に見えたりすることがとても興味深く感じます」と答えた。
実際に起きた事件にインスパイアされた映画『MOTHERマザー』では、社会の中で居場所をなくしていく親子の話で、非常にひどい母親の話だが、本作はそのような見方をしてはいない。「この作品の母親の、子どもに対する関係は本当に支配的ではあるんだけど、一方で非常に愛情を注いでる部分もあって、そんなに一面的にただ悪いとも言えないと思うんです。一般的にはこんな母親は認められないで排除しがちなんだけど、 裁判にかけて有罪になったからそれでおしまいにはならないし、豊かな社会ではないですよね。僕たちは同じ社会のルールの中で生きているわけですから、そのことを“考える”ことが必要なんじゃないのかなと思いますし、映画は考えさせてくれる場でもあると思います」と、映画の役割についての考えを語った。
本テーマによって繋がっていく最新作『湖の女たち』について、吉田修一による原作小説に出会った時のことを監督は「歴史を掘り下げて日本の負の遺産を現代まで昇華させていながら、それだけではあまりにも未来が見えないのところに、刑事の圭介と介護士の佳代という人物を置いて、どうにか僕たちが今生きてる社会が美しいものであって欲しい、という希望を描いている素晴らしい小説だと感じました」と語り、自然の畏怖を大いに感じたと言い、「湖から人間を見ている視点」で描いていることを明かした。そしてその中に存在する圭介と佳代については、「自分と全く違う他者と向き合った時に、どんなふうに自分は考えるのか、ということとすごく似てる感じがして。自分が見たいものの見方が、ものすごく狭い世界に陥ってしまう可能性を僕は感じていますが、そうではなく、外に開いて他者と向き合わなきゃいけない時に、この人をどうやって許容するのか、どうやって好きになるのかと、いうことがとても大事になってくる感じがしていて、それが自然物と似ている気がしているんです」と自然と人間の関係にも話が及んだ。「この2人は議論を呼びかけない関係性かと思いますが、圭介が一方的に支配しているように見えますが、それは変わっていく。ラスト・シーンのボートから飛び込むシーンなどは、どんどん佳代が自然に近い存在になっていって、そこにもう圭介が追いつかなくなっている。どんどんお互いの感覚を開いていく」と、本作の稀有な作品性を語った。
学生たちからのティーチ・インに移ると、映画監督を目指す学生からは「作品作りで、自分の意志や作家性を失わないように意識していることがあれば教えてください」という問いが投げられた。
「多くの人数で映画は作られます。僕の映画は結構アクが強いって言われてるんですが(笑)、僕は現場ではスタッフや俳優さんのことをものすごく信じるんです。自分の意見を強く言うことはあんまりないんです。でも、それでも自分の映画になるんです。脚本を書いていることは大きいかもしれませんが、映画を作る上で、とってつけたような“こうしたい”みたいなことって、実はそんなに映画に大きく作用してないと思うんです」と胸の内を明かした。どうやっても映画が監督のものになっている、だからこそ「映画が怖い」という。そしてだからこそ、映画をやめられないということも語った。さらに、今日話に出た「マイノリティを描くときに、社会的な善悪についてどう向き合っているのか」と問われると、「とても平たく考えると、自分の感情みたいなもの、人を好きになる愛、みたいなものに社会的なルールとか道徳も関係ないと思うんです。そしてそういう感覚を僕は大事にしたいと強く思っています。社会の規範や生産性を求める正義から逸脱していても、人間はどうしても感情や愛情に寄りすがって生きてないといけないと思うし、生産性だけでは人間は生きられないじゃないですか。愛も必要だ。人を好きになる。それを計算してというわけにはいかないと思うんです。強く引かれてるから、あまり社会の悪意みたいなものは 気にしないようにしているし、だから映画監督っていうものを選んでるかもしれないですね」。
そしてこの話題に引き続き、「社会問題を扱いながら可視化されない人間を描く、人間の複雑性を描くということには否定的な意見や問題になったりする可能性があることに、怖さはあるのでしょうか」という質問が飛ぶと、「映画はある種芸術と言いながら、大きなお金も動くしスターも出てくるし、やっぱり資本主義の中で発展していったものだから、そういう面は映画にはもちろんあるのかもしれない。僕自身の作品作りでいうと、抑圧されたり忖度したことはなく、全く持って僕自身の視点で作品が作られているんです。だから(『MOTHER マザー』のように)殺人を息子に教唆するような母親を描くということに僕は興味があるんです。それが考えるきっかけにもちろんなればいいし、その社会的な貢献ということ以上に、言葉にならない声を拾う場所がないなと思うから、その思いで映画を作っています」と伝え、海外と比べると日本においては映画や芸術で社会問題を扱う文化が少ないことにも話が及んだ。
そして最後にメッセージを求められた大森監督は「世の中的に、「自分の主観」が今どんどん肥大化しているんじゃないかという思いが強くあります。それに対して、自分以外のものに対しての共感力や想像力がなくなってきていると思うんです。映画でも人付き合いでも、あるいは僕が演出する時に1番大切にしていることですが、他者のことをどう思うか。人の話をちゃんと聞いて、人が何を考えてて、自分と違う価値観を持ってる人にどう向き合うかっていうことがすごく大事な気がしています。分からないものをどういうふうに扱うかっていうことがすごく大事かな。全く価値観が違う、生活習慣が全く違う人。そういう人たちと向き合う時に、自分自分がどういうふうにいればいいのかっていうことはかなり難しくなっていると思います。そういう意味で、自分のことをそんな大事にしちゃいけないかもしれないっていう価値かもしれないです。僕の感覚では、自分の価値観なんかいつでも揺れるし、揺れることが大事だということが1番メッセージかな。あんまり自分を大事にしすぎないでください」と、何に対しても自己中心に考える物差しを持たないようにというメッセージで締めくくられた。
公開表記
共同配給:東京テアトル、ヨアケ
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(オフィシャル素材提供)