登壇者:黒沢 清監督
10月2日(水)に開幕した第29回釜山国際映画祭でその年のアジア映画産業に大きく貢献した人物を表彰する「アジアン・フィルム・メーカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した黒沢 清監督が釜山海雲台にある釜山映像産業センターで開かれた「第29回釜山国際映画祭」が行う「<マスタークラス>黒沢 清: ジャンル映画の最前線」に出席。
事前予約では即完して、20代、30代の映画を学ぶ学生らしい若い人たちで満席になった会場に登場した黒沢 清監督が、受賞を讃えられ、感想を求められると、「アニョンハセヨ。皆さんお若いですね。若い方がこうやって集まっているのを見ると本当に感激いたします。僕が映画を撮りはじめたのはもう45年ぐらい前……もっと前かな……はるか昔なんですが、その頃、映画なんか若い人は誰も観なくなった、映画はもう終わると、ずっと言われ続けてきました。日本にいると、僕が参加するようなイベントに来られる方の年齢がだんだん上がってきていて、僕のファンの方もどんどん歳をとってきているなと感じていました。でも、釜山にくるとちゃんと若い方が、次の映画をめざして、こんなにたくさん集まっている姿をみることができて本当にうれしいです。僕が、釜山映画祭に初めて参加したのが、25年くらい前、まだ生まれていない方もいらっしゃるかもしれません。釜山映画祭の観客もどんどん新しくなって、またこのように皆さんのような新しい方とこうやって出会える機会をつくっていただいて、映画祭には本当に感謝しています」と回答した。挨拶が終わると、黒沢監督のこれまでのフィルモグラグフィーを掘り下げた、マスタークラスならではの質問が、司会から投げられた。
「以前のインタビューで黒沢監督は『日本で私の映画を100万人が観ることは永遠に起こらないだろう。日本で1万人、海外100ヵ国でさらに1万人ずつ見たら、最終的には100万人くらいは集まるだろうし、それくらいなら結構やりがいがあるんじゃないかと思って映画を作る』という言葉が印象に残っています。それでも、連続殺人の衝動を掘り下げる刑事・高部(役所広司)の不安を描いた『CURE』をはじめ、監督の映画には“ジャンル映画”的な属性がしばしば見受けられます。 ホラー・スリラーの枠組みを持ちながらも、強烈な自意識をベースに、誰にも真似できない息づかいを見せています。今回上映された『Cloud クラウド』もそうだと感じました。もし、ジャンルの枠組みの中で新たな突破口を見つけるとしたら、監督はどのように物語の素材を発見して作業を始めるのでしょうか。これなら映画にできるかもしれないと思ったきっかけがあったりするのでしょうか」という質問に対して、黒沢監督は「これは映画にとって大変、本質的なテーマだなと思います。“ジャンル映画”という言い方をよくするのですが、それはなんのことか?と言われると、僕にとっては“映画”のことです。皆さんすでに、映画を作ってらっしゃる方もいらっしゃると思うが、作品を作るというと、自分の中からこれが作りたい、こう表現したいという自分の中から湧きでるもの、自分自身を表現するものと捉えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。それはそれでかまわないんですが、僕は実はそういう作り方をしていないんです。僕は自分の中から映画を作っているんでなくて、さまざまな歴史やいろいろな国のなかに“映画”という外側があって、その中から自分の作るものを発見する、これだったら自分にもできる、こんなものを作ってみたいという。それは自分の中から出てくるものではなくて、映画の向こう側に、まだ見えてはいないのですが、映画の向こう側にあるものを、それを発見するのが、僕の映画作りなんです。分かりますかね……」と語り、改めて「ちょっとでも映画を作ったことがある方なら分かると思いますが、映画って作りたいと思ってそのまま作れるものではなくて、いろんな人の力を借りて、監督ひとりで作るもでもなくて多くの人たちが集まって、意見を交わしながらだんだんとできていく、そこにある、まだ見えてないものをなんとかみんなで探しだす作業、それが映画作りではないかと思います。作ったことがある方なら少し分かってくださるのではないかと思います」。
続けて、「あなたはどんな映画を作っているんですか、と聞かれると、僕の中からでてきた作品じゃなくて、映画という大きなかたまりの中にある1本を作っているのですと言いたいために、映画を作るっているんです、そうというとあまりにもあっけないので、“ジャンル映画”を作っているという言い方をする、それが僕の偽らざる気持ちですね」と回答した。
また脚本に関しての質問がなされると「シナリオについては、最低限のことしか書かないようにしています。たぶん、すごくシンプルな脚本になっています。ほかの監督が撮るシナリオとして完成させるのであれば、もっと書かないとシナリオの狙いが分かりづらいと思いますので、脚本としては不完全なものかもしれません。ただ、自分が撮るものなので、この後、自分で付け加えていけばいいという考え方で、今言えるのはこれだけ、というシンプル脚本にしています。セリフが撮影現場で大きく変わることはありません。セリフを、どんな感情で言えばいいのかということは俳優にまかせる形になるので、脚本上には、どう演じてもよいように書いています」と、自身が監督をするからこそ、自分の作品の中の脚本のあり方について話した。
さらに、「監督の映画では、その時にその場所にカメラがあるべき位置というものがあるようです。監督の繊細な感覚というべきでしょうか。一つのショットを作るときの厳密さ。一つのショットの中でどこからどこまで繋げて一つのショットを構成するのか、この画面にどれだけの空白をどこに配置するのかをとても長く悩んで選択されているのだと思います。『クラウド』の中で、そのような悩みが入っているショットをいくつか挙げてくださいますか?」という質問されると、黒沢監督は、「夜、吉井のアパートに、辞めた会社の元社長が立っているというシーンがあるんです。あそこをどう撮るかはかなり考えました。主人公が暮らしている生活しているスペースと、立っている社長が見える窓がある場所は離れているんです。吉井が普通の生活しているところからは窓の下が見えないんです。また、この部屋に窓があることもまだ観客は知らない。吉井が窓のほうへ動かないと分からない。夜ですから、外から照明をあて、窓からは、外にある街が見えているんだということが分かる状態にした上で、吉井が、窓にだんだん近づいていく演出を考えました。そのプランを実現するのに、窓の外に照明を準備しないといけないとか、カメラを5メートルぐらい動かさないといけないといったことが必要になります。ですが、吉井が普通に生活していた場所と、下から社長が見ているという場所が空間としても時間としてもつながっていると、この部屋にこんなにも危険なポジションがあったんだということが、スリリングに感じるのではないかと思いましたので、吉井の生活している場所から窓までをワン・カットで撮るというのが1つの大きな目的となりました。でも、カットを分けてしまってもいいんです。分けて撮ることも可能なのですが、分断してしまうと菅田将暉さんの演技も、分断されてしまう。すると、“日常があって”“怖いことがあって”と説明されるだけになってしまう。ただワン・カットでつなげて撮影をすると、たかが5メートルですが、菅田将暉さんの芝居も“なんでもない日常”から“恐怖”までひとつながりのお芝居として、彼の中でリアリティをもって演じることができるわけです。このシーンは、カットを割らず、ワン・カットで繋げて撮るべきだと思いました」と回答。ワン・カットでつなげて撮ることで、“日常”から“非日常”の境界線を越える瞬間を映像に落とし込み、それによってよりスリリングに感じることができる黒沢 清の映像世界の謎に踏み込んだ。
そして最後に、マスタークラスの参加者からの質問があがり、「黒沢監督の映画を『映画』という言葉を使わずに、一言でいうと?」という問いに関して、黒沢監督は「難しい・・・」と一言。しばらく考えた後、「自分の映画について一言でいってみろと言われると『もうひとつの現実』となりますかね。『物語』という言い方をしたい気もするんですが、いや『物語』ともいえない『もうひとつの現実を作っている』というのが一番近いですかね。」と、世界が熱狂する黒沢清の世界観を、黒沢監督自身が回答した。
最後に挨拶を求められると、「普段あまり言わないようなことを言ってしまいました。ここで話したことは一旦忘れて、映画はご自由に観ていただくのがよいかと思います」と締めくくり、白熱した黒沢 清監督によるマスタークラスは終了した。
第97回米国アカデミー賞®国際長編映画賞の日本代表作品、主演:菅田将暉×監督・脚本:黒沢 清がおくる、“誰もが標的になりうる”日常と隣り合わせの恐怖を描くサスペンス・スリラー『Cloud クラウド』は、絶賛公開中。
公開表記
配給:東京テアトル 日活
TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中
(オフィシャル素材提供)