
ロッテルダム国際映画祭のBright Futre部門にも正式出品したティミー・ハーン監督日本初上映作品『ウリリは黒魔術の夢をみた』が4月5日(土)より、シアター・イメージフォーラムを始めとして全国順次公開となる。
この度、ティミー・ハーン監督のオフィシャル・インタビューが到着した。
監督・脚本・製作:ティミー・ハーン
ロッテルダム国際映画祭Bright Future部門選出(2019)、トロント国際映画祭New Waves Program部門(2012)、CCP短編映画祭でBest Experimental Film(2011)受賞など、期待の新人作家として注目が急上昇している監督、俳優、アート・ディレクター、脚本、プロデューサーをこなす。その才能は映画の枠を超え、Lecx StacyをはじめとするMVからCMまで多く手掛けている。初の参加映画作品『Class Picture』はトロント国際映画祭New Waves Program部門正式出品と2011年マニラで開催されたCCP短編映画祭でBest Experimental Film受賞。初長編監督作品『郊外の爬虫類』は2013年のCinema One映画祭で複数の賞にノミネート。短編『Cyber Devil X Ahas』は日本のオールピスト東京2016でも上映された。長編作品の劇場公開はこれが初となる。
どのような映画監督から影響を受けましたか?
フィリピン同世代の監督だと、ジョン・トレスやミハイル・レッドなどです。もちろんもっと上の世代のキドラット・タヒミックやラヴ・ディアスからも影響を受けていますが、子どもの頃からケーブルテレビのHBOなどを見て育ってきて、またインターネットが始まった世代でもあるので、どちらかというと国内よりも海外の監督作品を観る機会の方が多かったですね。マーティン・スコセッシやウディ・アレン、マチュー・カソヴィッツなどもよく観ていました。日本の映画監督だと塚本晋也の『東京フィスト』、あとは黒沢 清、三池崇史、大島 渚監督など。日本のミュージシャンでは松原みきや竹内まりやといったシティ・ポップが好きですね。
あなたが映画を撮り始めた時のことを教えてください。
マニラで学生だった頃のクラスメイトたちから受けた刺激が、映画に興味を持ったきっかけです。中でも今回の美術監督でもあるマイキー・レッドはとても近い関係性の友達でした。仲間の中にはミハイル・レッドを始めとするレッド・ファミリーもいましたし、そのコミュニティの中にいたロックス・リーとも仲良くなりました。ロック繋がりでいうと、本当は“ロック・クライマー”になりたいという夢があったんですが、そういう環境に置かれたことで刺激を受けて、プロの映像作家になりたいと思うようになりました。
そうしているうちにデジタル・フィルムやminiDVDなどを使ったインディペンデント・フィルムに接する機会が多くなり、映画を撮り始めました。最初に使ったカメラはPanasonicのDVX100。初長編作品『郊外の爬虫類』は、16mmで撮ってVHSに変換しました。今回の『ウリリは黒魔術の夢をみた』はデジタルで撮影しています。カメラはSONYで(機種名は忘れました)、人物を効果的に描くことのできるHELIOSという古い特別なロシアのレンズを使っています。
『ウリリは黒魔術の夢をみた』はどのようにして始まったのでしょうか。
僕が映画を初めて撮ったのは、2011年にジム・ルンベーラと制作した『Class Picture』でした。それから自分の生きてきた道を示す最初の映画を撮ろうとしたのですが、その時ちょうど目の前に自分の子どもの時の写真があったんです。そこから、フィリピン人として子ども時代から大人になっていくときに通ってきた道をイメージして、『ウリリは黒魔術の夢をみた』のアイデアが生まれました。
この作品には要素がたくさんあって、一部の人には「混乱」という印象すら与えます。バスケ、麻薬、クリスチャン、呪い……。ホラーなのか、ラヴ・ストーリーなのか、スポーツ・ドラマなのか。このカオスな状態がまさにフィリピンのリアルなアイデンティティを表しているようです。
コンセプトを考えている段階から、いろんなジャンルをマッシュアップした映画を作りたいと思っていました。僕は子ども時代からホラーやコメディといった、フィリピンのメイン・ストリームでありメジャーな商業映画ばかりみて育ってきました。そういういろんなものをひとつの映画の中でスムーズに繋げた作品を作りたかったんです。今までそういう映画をフィリピンで見たことがありませんでした。「実験」というと大袈裟かもしれませんが、フィリピンで実際に起きている出来事を物語にするなら、どういったスタイルが合うかをいろいろ試してみました。マイケル・ジョーダン・ウリリはフィリピン人を代表している存在であり、彼の人生はさまざまなジャンルを通り過ぎていきます。アートハウス、スロー・フィルムなど、そのスタイル(ジャンル)はさまざまです。
また最初は観客の想像と違うものにしたいという想いがありました。観ている人は最初スポーツ・フィルムかと思っていたら恋愛映画のようで、それからクライム映画や呪いが出てくるなど、どんどんジャンルが変わっていきます。でもナラティブによってジャンルは変わっていくものですし、そういう変化が「大人になる」ということなのではないでしょうか。たとえ主人公にどんな才能があったとしても、思い通りにはいかない。人生とはコントロールできないものなのです。
やや過激な表現も見られますが、これはフィリピンのリアルな光景なのでしょうか、それとも誇張表現なのでしょうか?
確かに過激ではあると思いますが、そこまで自分の映画がセンセーショナルとは思いません。それよりも本当の状況をそのまま見せて伝えることを重視しています。決して盛ってるわけではありません。ただしこれが現実そのものかと言われると、YESでありNOでもあります。映画的になるように強調して描いていますからね。表現としては強調してますが、物語のルーツは全て実際にある場所や事実の話です。
フィリピン国内の上映状況について。
今回、日本の劇場で上映されることは僕にとってとても光栄だと思っています。フィリピンは他の国と比べても年齢制限のセンサーシップ(上映に関する審査、日本では映倫に当たる)がとても厳しいんです。バギオで今年の3月に行われる上映会では、18歳以下は観ることができません(*日本はR15+)。フィリピンにおいて、この作品を劇場のスクリーンで上映することはかなり難しく、とても小さいアートハウスやギャラリーのようなところでのみ許されています。フィリピンの劇場は商業的な映画だけが上映できる場所で、とてもコンサバです。フィリピンはカトリックの国なので、宗教的なことが関係しているんです。例えばこの映画では妊婦がドラッグを吸っているシーンもありますしね。本当のことを見せているから、制限が厳しいのかもしれませんね。それがリアルなんですが、それを見せたくないんだと思います。
今回モノクロで撮影した理由を教えてください。
モノクロでないと、キャラクターを正しく表現できないと思ったからです。例えばウリリは黒人という設定ですが、実際の彼は本当の黒人ではないので、実は黒人というより、いかにもフィリピン人であるような肌の色をしています。でも白黒を使えば効果的に表現できます。レンズ(HELIOS)の選択も同じことです。このレンズはフォーカスが浅いので、キャラクターに集中できるのです。
今回のモノクロ表現は、いろんな作品から影響を受けています。例えばバスケのシーンはマーティン・スコセッシの『レイジング・ブル』、ドラッグのシーンはカソヴィッツの『憎しみ』、またラヴ・シーンはウッディ・アレンの『マンハッタン』などです。よくフィリピンの巨匠ラヴ・ディアスのモノクロ表現と比較されることもありますが、もちろんそれは嬉しいですが、海外からの影響のほうが多いかもしれません。
チームの人数と制作日数は?
スタッフは、俳優を含めずに30人くらいのチームで制作しました。2015年から構想や執筆を始めて、最終的なアウトプットに至るまで多くの草稿を経て2018年に制作しました。3年かかりましたが、実際の撮影期間は10日間でした。制作会社の規模としては小さいほうだと思います。
伝説のバンドイレイザー・ヘッドのフロントマン、マーカス・アドロはどのようにしてこの作品に参加することになったのですか?
彼が住んでいるラウニオンという場所はサーファーの聖地なんですが、偶然にも僕の高校の同級生がマーカスとサーファー友達で、ダメ元で頼んだらOKをもらえたんです。彼はフィリピン・カルチャーの象徴的な存在で、レジェンドなミュージシャンです。ギャラは、Eraserheadsの時のほうが良かったかもしれません(笑)。ナチュラルな彼の素のままで演技してもらったので、マーカスはルイスそのものでした。演技指導みたいなことは特にしていません。
エンディングの「Maureen / Carmen」もこの映画のために書き下ろしてくれましたものです。前半はアコースティックなメロディで、後半はロック調の曲。それぞれモーリーンとカルメンへの謝罪を歌った曲で、これはマーカスのアイデアでした。
映画の舞台となる街「スービック」について。
映画の舞台は、米兵が滞在していた海軍基地があった、オロンガポ州のスービックという街です。ここはフィリピンのルソン島北部のピナツボ山の近くにある場所で、火山が噴火したことで閉鎖したクラーク基地に連動して、スービック基地が閉鎖されたという歴史があります。マイケルの父親がカルメンの前から姿を消したのは、全て1991年に起こった出来事だったのです。
映画の設定としては、マイケルの母親(カルメン)と叔母(ロシェル)はスービックで働いていたダンサーであり娼婦でした。そこには米軍の軍隊がよく訪れていて、マイケルの父親(アーヴィング)もその一人でした。彼はバスケットボールとは無関係ですが、カルメンやマイケルにとってはアメリカン・ドリームの象徴でありオリジナなのです。カルメンとアーヴィングは激しい恋に落ち一緒にアメリカに行く約束もしていたのですが、米軍基地が閉鎖された時にその約束も一緒に消えてしまいました。また皮肉なことにマイケルの父親は実はナイジェリア移民として米軍に入隊した人物で、本当のアメリカ人ではなかったのです。
主人公であるウリリは、そんな米軍海海兵とフィリピン人女性の間に生まれた子どもです。ウリリや彼の周囲の人たちがバスケットボールでの成功に強くこだわるのは、自分たちがアメリカとのコネクションがあると思い込んでいるからなのでしょう。
この映画にはピナツボ火山の噴火が重要なファクターとして登場しますが、スービックの米軍海軍基地閉鎖に対するあなたの記憶と関係しているのでしょうか?
僕が生まれたのが1997年で、ピナツボ火山の噴火は1999年。すごく小さい時のことだったのであまり覚えていませんが、当時僕はマニラに住んでいて、すごい地震を感じて外に出たら、マニラなのに外はたくさんの灰が積もっていたことだけは覚えています。映画の冒頭に映し出される火山は1991年に噴火する前のピナツボの実際の静止画をアニメーションにしたものです。
この作品でのバスケットボールはどういう意味を持つのでしょうか。
バスケットボールはアメリカによるコロニアルのイメージですよね。またフィリピン人は背が小さいから、どれだけ頑張っても代表にはなれないとうコンプレックスもあります。でも個人的にコロニアルやアメリカに対する感情は特にありません。もちろんネガティブなことが多いのは事実ですが、でもそれが現実なんだから、避けては通れないものであることは認めないといけません。それがいまの「僕」を作っているですから。白黒つけることはできないと思っています。
一方、作品の中でのウリリは、コロニアリズムに対する難しさや困難さを感じています。ウリリの人生にも、良いことと悪いことのいろんなバランスの問題を抱えてます。マンリケ一族はウリリに対して、「毒」を与えているとも言えます。マンリケは白人的風貌を持つフィリピン社会の中の富裕層で、ウリリはアメリカの血が混ざった風貌であり決して裕福とは言えません。その上で、マンリケもウリリも自分こそが真のフィリピン人であると声をあげています。あの二人の対決は、まさにコロニアリズムの対決を象徴していると言えます。とは言えポリティカルな作品というわけではないんですけどね。
同じく白人的な風貌のカワヤン・デ・ギアは黒魔術の儀式にあえて入れたのはどうしてでしょうか?
主人公ウリリは、100%の黒人でもないし、フィリピン人でもありません。カワヤンも、100%の白人でもないしフィリピンでもない。もしくはどちらでもあるとも言えます。そういう意味でこの二人は、同じような境遇を持ち合わせているのです。カワヤンは元々友達で、彼のフィリピン人ぽくない風貌に反してタガログ語が堪能なところが、この役柄にとても合っていると思いました。カワヤン演じるジョージも、マーカス・アドロが演じるルイスも、ウリリやカルメンにまつわる過去と現在全てのストーリー知っている、ミステリアスなキャラクターとして映画に配置しています。
母カルメンが命を捧げてまでウリリをバスケ選手にしようとした理由は?
彼女はマイケルのために自分の人生を投げ出しました。これはマイケルが自分よりも良い人生を送れるようにということと、またアメリカ植民地時代の基準で自分たちの名を上げられるために、という想いが込められています。多くのフィリピン人の親が自分の子どもたちに対してこのような希望を抱くのは、植民地支配後の考え方の反映なのです。バスケットボールはフィリピンにおいて最も人気のあるスポーツで、マイケルはバスケットボール選手になってNBAでプレーする可能性があるので、カルメンはそれを望んでいました。バスケットボールはアメリカ人が導入したスポーツなので、これも植民地支配後の影響を反映しています。ほとんどのフィリピン人は、世界的に高いレベルで競争するための身長という身体的なアドバンテージを欠いているにもかかわらず、バスケットボールに関しては情熱的で競争的な面があるのです。
友人のチャールズが行っている賭博スポーツは実際にあるのでしょうか?
はい、バスケットボールの試合での小さな違法賭博は実際に存在します。ボクシングにもありますが、バスケットボールの試合でギャンブルをするのはこの国ではよくあることです。
この映画はハッピーエンドですか?
そうですね。家族とまた一緒になって、最後は一緒に家に帰ったのですから。これから彼はママである車といろんな旅をエンジョイしていくのだと思います。これまで彼は、まったくサポートを受けていない人生を送っていました。でも最後はママも含めた家族のところに帰っていくんです。そう、これは現実を超えた「スポーツ・ファミリー・ドラマ」なんです。ドラッグ付きのね(笑)。
日本車の三菱ギャランΣを登場させた理由について教えてください。
まずは僕自身が、日本車が好きだから! 三菱、トヨタ、スズキの車はフィリピンでも有名です。僕の家にあった車はこれまで全て日本車でした。当時の日本車はフィリピンでとても人気があり、「ギャランΣ」もこの国を象徴する車のひとつです。映画で実際に使った車は、友人のお婆さんがブライダル・カーとして購入した新車です。これを娘つまり友人のお母さん(そして中学一年生の時の担任の先生でもありました)の世代に引き継がれ、今はそれを僕が譲り受けて使っています。ルイスが映画の中で話しているTV CMは、1978年にフィリピンで放送されたものです。僕はリアルタイムで見ていませんが、お父さんからその話は聞いていました。
車に血をかけるシーンがありますが、あれはチョコレートシロップを使っています。白黒で撮影する時はチョコレートシロップを使うといいんです。
映画の中で行われる黒魔術は、モデルまたは参考にしたものありますか。
これは架空のカルトとして、映画で見た習慣や儀式を参考にしました。また儀式の際に見たという「鳥」は、見る者の想像力にお任せしています。鳥は、信じる人々への希望と救いを象徴しています。
撮影の前後にお祓いはしましたか?
してません。考えたことがなかったけど、したほうがいいのかもしれませんね(笑)。
インスタレーションなどさまざまなジャンルで活躍していますが、制作において映画監督と現代アーティストの違いはありますか?
映画制作とインスタレーションは制作過程において違う部分もあるけど、基本的には同じものだと思っています。僕にとって制作とは、作品にメッセージを入れ込むというよりは、撮影そのものがアートだと思っています。映画制作のプロセスもそこから生まれます。映画は、スクリプトを作って、キャラクターを撮影します。そこにナラティブがあるのが映画であり、ストーリーはとても重要だと思っています。
短編『Cyber Devil X Ahas』は2016年にパレ・ド・トーキョーでも上映しました。同じ年に日本でもオールピスト東京で上映しました。この時の音楽もSewage Workerに音楽を作ってもらっています。またコロナ禍のときにインスタレーション作品として制作した『Manananggal of the Philippines』の時の音楽もSewage Workerでした。
ナラティブのインスピレーションはどこから?
TVが多いですね。ニコロディオンや、タガログの映画など。日本のアニメからも「幽遊白書」、「超電子バイオマン」、「パワーレンジャー」、「ボルテスV」など、いろんなメディアから影響を受けています。
今後の予定は?
これからも映画を作り続けたいと思っています。
(ドラッグやセックスなしの?)いや、実際に起きていることを描くのが僕の映画だから、それはこれからも描き続けると思います(笑)。次回作は日本での撮影を考えています。ホラー映画で、移民に関するストーリーです。日本に行くフィリピン人の移民と、フィリピンにくる日本人の移民。2つのカルチャーについてのスクリプトを最近書き始めています。音楽はまたSewage Workerにお願いしたいですね。
僕はアーティストでもありますから、仕事としての映像制作をしながらも作品発表は続けていくつもりです。
公開表記
配給:サムワンズガーデン
2025年4月5日(土) シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開
(オフィシャル素材提供)