
フィリピンの「ニュー・ウェーブ」から届いた“見たことのない”映像体験
フィリピン映画シーンの最先端をゆく時代の寵児ティミー・ハーンによる長編劇映画『ウリリは黒魔術の夢をみた』が、世界的パンデミックで上映が危ぶまれた中、満を持して日本初上陸する。本作は、白石和彌監督やグザヴィエ・ドラン監督など次世代を代表する新人監督にフューチャーしたロッテルダム国際映画祭のBright Future部門に正式出品されたお墨付き。 ラヴ・ディアスを彷彿とさせるモノクロームの質感と、ダニエル・クロウズ風の不条理な世界観、そしてポストコロニアルに生きる現代フィリピン人のアイデンティティが融合した、オフビートな “真夏の悪夢”が疾走する。
また併せて解禁となった予告編では、90年代のフィリピンを席巻したオルタナティブ・ロックバンドEraserheadsのリードギタリストであるマーカス・アドロが出演・エンディングの曲も書き下ろしているほか、ラヴ・ディアス作品にも出演しているエイドリアン・ヴェルガラ、そしてキドラット・タヒミックの息子カワヤン・デ・ギアといった贅沢な顔ぶれを観ることができる。
各界からのコメントが到着!
石坂健治(東京国際映画祭シニア・プログラマー/日本映画大学教授)
『ウリリは黒魔術をみた』における黒魔術の登場や妊娠出産にまつわる凄絶な血まみれ描写は興味深い。それは南米のマジック・リアリズム文学を想起させるかもしれないが、むしろある種のフィリピン映画の系譜に連なるものでもある。
アメリカへの憧憬と超常的なものへの接近が同居している『ウリリは黒魔術をみた』で長編デビューを果たしたハーン監督がどこへ向かうのか、刮目して見たい。
日下 渉(東京外国語大学教授)
「自分のためだけに生きる人はいない」。フィリピンでは、人びとが助け合いながら、幸せと富を手にしようとする。だが、『ウリリは黒魔術をみた』は、そうした共同実践が、いかに歪で、不安定で、暴力性を伴っているのかをグロテスクなまでに暴露している。非日常的で衝撃的なシーンの数々も、日常的な相互扶助の規範と実践に対する鋭い問題提起と解釈できるのだ。
粂田 剛(ドキュメンタリー映像作家『なれのはて』『ベイウォーク』)
この世界を知っている。
薄汚れた街。バスケットボール。ドラッグ。ギター。怪しいマジナイ。家族の絆。タガログと英語が入り混じった会話……まさにフィリピンだ!
だが、この映画のフィリピンには魔法がかかっている。
ティミー・ハーン監督がかけたモノクロの黒魔術が。
血塗れで猥雑で痛くて、でもどこかトボけた明るさもあり……ってやっぱりフィリピンらしいのか。
とにかく、応援せずにはいられない。
どこまでも走っていけ、聖なるギャランΣ!
古賀 太(日本大学芸術学部教授)
この映画を観始めて、「三菱ギャランΣ(シグマ)」のCMが記憶の奥底から忽然と蘇った。
たぶん60歳以上ならば、最後に「ギャラーン・シグマー!」と歌う美しい広告を覚えているのではないか。
今から思うと1970年代後半、日本の高度成長期の最後の輝きのようだった。
それが現役の車として現代フィリピンに蘇るとは。外国への複雑な思い、 人種差別、家族愛、呪術にドラッグまでも混じり合いながら、ウリリの過激な青春ドラマは進む。
その象徴がまさにギャランΣ。これらすべてを端正な白黒に押し込めたのはこれが3本目の長編というティミー・ハーン監督だが、同じフィリピンの「白黒の巨匠」、ラヴ・ディアスを思わせる大物ぶりを見せた。
聞けば、あのギャランΣは監督の友人のおばあさんがブライダル・カーとして買ってもらい、その娘(友人の母で監督の中学校の担任でもある)から譲り受けたという。
悪夢のようなこの映画は実はこの濃密な人間関係のリアルじゃないかと思ったら、 ちょっと寒気がした。
キュンチョメ(アートユニット)
この作品には、多くの別れがあり、受難があり、悲劇に満ちている。しかし、不思議と重苦しさや絶望感がない。それはやはり、いつまでも主人公と共に走り続ける三菱ギャランの存在があるからだ。フィリピン郊外の山々を疾走する三菱ギャランの後ろ姿に、いつか呪いも祝福に変わるのではないかという、一筋の希望を感じた。それは幻かもしれない。でも、そんな幻と一緒に走る人生も、悪くはなさそうだ。
辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト)
人が慢心したあとに堕ちるダークな世界線。黒魔術に恐れおののきながら、人生の教訓を得られる作品です。
馬渕 愛(アカリノ舎)
運命に抗いきれない若者の姿を、現代社会の設定でありながらマジックや呪いという装置を通して神話的に描いた、王道の映画。
その一方で、ポジティブシンキングを是とする昨今において、諦観を徹底的に描いたこの作品の世界観は新鮮に映りました。
世の中の不条理、暴力、エロティシズムを映画として昇華した監督の作家性に、初期のタランティーノのような90年代インディペンデント映画の香りがします。
90年代は西洋的でシニカルな笑いがクールとされていましたが、この作品は愛と受容のアジア的とも言える笑いのセンス「フィリピン・ユーモア」によって、絶望的なストーリーでありながら、とても救われた気がしました。
三宅洋平(犬式/ミュージシャン)
トリップ・ムービーではあるがサイケデリックともまた異なる退廃性を伴う。
ジム・ジャームッシュ的ではあるが、アメリカではなくフィリピンの苦悶が横たわる。
母と子を繋ぐ血と肉体と精神の架け橋は1台の古い日本車で、それは黒魔術と狂信への滑稽なオマージュでもある。
劇中の思い入れをドラスティックに切り捨てていくカットアップの連続は、現代を生きる僕らの感覚をなぞっては通り過ぎていく抽象的な写実画である
世界中からのコメントも続々!
ロッテルダム国際映画祭
三菱ギャランΣをエディプス悲劇の主役の如く描いた、美しきモノクローム
Rappler「フィリピン映画ベスト12」より *ノーベル受賞者マリア・レッサ率いるオンラインメディア
二つの文化に翻弄された男の分裂したアイデンティティを追うサイケデリックなロード・トリップ
Rotten Tomatoes / Asian Movie Plus
“ラヴ・ディアスのスタイルを彷彿とさせるアルバート・バンゾンとジッピー・パスクアによる芸術的なモノクロ。理性を超えるすれすれの瞬間を連続的に引き起こすジョン・トレスとマーヴィン・アキノによる編集の魔術。
公開表記
配給:サムワンズガーデン
2025年4月5日(土) シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開
(オフィシャル素材提供)