
登壇者:児玉美月(映画文筆家)、水上 文(文筆家)
3月21日(金)から公開がスタートしたアッシュ・メイフェア監督作品『その花は夜に咲く』の上映後トークイベントが4月2日(水)シネマート新宿にて行われた。
今作は、長編デビュー作『第三夫人と髪飾り』が世界の映画祭で数々の賞を受賞し大きな注目を集めたベトナムの新鋭アッシュ・メイフェア監督、待望の長編第2作。望まぬ性に生まれたサンと、ボクサーのナムとの愛の軌跡を、監督自身の中学時代の経験や記憶、トランスジェンダーの友人をモデルに、鮮烈なラブ・ストーリーに創り上げた。「ベトナムでは今もなお、トランスジェンダー・コミュニティは政府や社会から厳しい批判 を受けています」とメイフェア監督が語るように、果敢にタブーとも言えるテーマに挑んでいる。
平日夜の回に駆け付けた観客の拍手に包まれながら登壇したのは、ジェンダー・セクシュアリティに関心を寄せながら、映画批評を様々な媒体に執筆している、映画文筆家の児玉美月、そして文芸批評や映画やドラマ、アニメなどのレビュー、ジェンダー・セクシュアリティに関連したエッセイも執筆する文筆家の水上 文。児玉と水上は、トランスジェンダーに対する差別に問題意識を抱いた水上からの発信で作成したZINE(のちに書籍化した)「われらはすでに共にある:反トランス差別ブックレット」で児玉が映画ガイドを執筆したこともあり、息の合ったトークを展開した。
トランスジェンダーを演じるのは、トランスジェンダーであるべきか?
“社会的なアクション”である映画製作が負うべきもの
児玉:英語圏では早い段階から、トランスジェンダーの役はトランスジェンダーの俳優がやるべき、という議論が起きていました。日本では『ミッドナイトスワン』(20/内田英治監督)のときに本格的に議論されるようになったかと思うのですが、私が最初に(そういった批判に)出くわしたのが、2015年につくられた『アバウト・レイ 16歳の決断』(ゲイビー・デラル監督)。その時に初めて、どうして主演のエル・ファニングが(シスでありながら)トランスジェンダーを演じるのかという議論がアメリカで起こっていると知って。最初はちょっと戸惑いがあったのですが、いろいろ学んでいって、今はもちろんトランスの俳優が演じるべきだと思っています。 映画界ではまだまだその別人を演じるのが役者だという風潮が強いですね。 どういうふうに説得したらいいんだろうというのは度々悩むのですが、『その花は夜に咲く』のような映画を観れば、一番説得力があると思いました。
水上:同時に、(この映画の中のサンのように)トランスジェンダーの人の就労機会が、特にセックス・ワーク、性産業に偏ってきたという歴史がある中で、トランスジェンダーの俳優が演じるということが、労働環境の選択肢を増やすという意味でも重要だということがこの映画でも描かれています。ショーン・フェイ著の「トランスジェンダー問題」という本があるのですが、この映画の中で描かれていたことが、どんな社会構造によって生じているのか、どういうところで個人の苦しみが作り出されているのか、社会全体の問題として、どんなふうになっているのかということを知りたい方に、おすすめしたいです。
児玉:この映画で主演のチャン・クアンは、演技経験がありません。2010年代の後半ぐらいから、トランスジェンダーがトランスジェンダーを演じる映画が増えていますが、ほとんど演技経験がない役者をキャスティングしていたりするんです。 映画が1つ、就労の機会を与えるきっかけになっているということもありますし、こういう作品を作ることで、そういった、演技未経験のトランスジェンダーの俳優たちを積極的に教育して育てていくということも映画産業が負っていかなきゃいけない役目だということは、今回非常に思いました。

シスジェンダーとトランスジェンダーの女性の連帯が描かれることの意味
“恋愛”と“自分自身であること”は絡み合う
水上:私がこの映画を好きだなと思ったのが、特に後半部分です。主人公のサンとミミという2人の女性の、特別な絆が描かれるシーンがすごく好きでした。
児玉:アッシュ・メイフェア監督の前作『第三夫人と髪飾り』は、権力を持っている地主の3人の妻たちがお互いに競争し合ったり、争ったり対立したりするのではなくお互いにいたわり合っていくという作品でしたし、今作は時代もテーマも全く違うけれども、そういった部分が非常に監督らしいなと思いました。 普通だったら、外で子どもつくられたら、その女性をケアしてあげるっていうのはなかなかできないですから。 そこが面白かったですし、3人が一緒にいる時が、この映画の中で最も幸福な時間であるところが唯一救いだったりするのかなと思います。
水上:トランス女性を主人公とした映画の中で女性同士の連帯が描かれたことの大きな意味が、2つあると思っています。1つは、立場の違う女性同士が対立させられる、あるいはシスジェンダーの女性がしばしば差別的な発言をしているという現状の中で、違う立場の女性たちの連帯を描くということが、この社会の現状にあらがう大きな意味を持っているんじゃないかなと思いました。
もう1つ。この作品の前半で、私からするとすごくアビューシブとも言えるような関係が描かれています。トランスジェンダー女性の話を聞いていると、アビューシブな男性パートナーとそれでも一緒にいる、という人は結構いるのかなと思っていて、それは多分“恋愛”というだけではなくて、“異性として男性パートナーから承認される”ということが、ある意味、自分のジェンダー・アイデンティティに対する承認とも重なってしまうところがあるのではないかなと。そういう中で、違った絆、違った形で、女性として、サンが自分としていられる場所、自分としていられる関係性を持つっていうところまでこの映画は描いているということが、すごく重要なのかなと思いました。
児玉:なぜシスジェンダーとトランスジェンダーの女性が連帯することが大事なのか。日本でも、とりわけ2018年以降起きているトランス差別の中で、少なくない人がフェミニストを名乗るシスジェンダーの女性で、女性を守るという名目で差別が行われていたりします。そういった意味でも、もっと私たちシスジェンダーの女性は、トランスジェンダーの女性と連帯していけるっていうことにかけたいと強く願っているので、そういう意味でも、物語に落とし込んでくれたなと思いました。
サンとナムの関係については、非常に複雑な関係を持っているのかなと思うのですが、サンが性別適合手術を非常に強く望んでいますが、ナムが「俺にはお前はもう完璧な女だよ」っていうシーンがありましたよね。 でもサンはナムのために性別適合手術をするわけでは決してないから、そこはかなり自律性を守っている、というところが重要だなと思っています。『ジョイランド わたしの願い』(24/サーイム・サーディク監督)でも同じようなシーンがあって、女性が「あなたのためにするわけじゃないから」と、きっぱり言うんですね。そういうシーンって、すごく重要だなと思います。
水上:その男性パートナーからすると、多分愛の表現として言っているんですよね。
ただ、自分がどうありたいかを自分で決めるということがすごく重要なんです。「POSE/ポーズ」というドラマで、性別適合手術を強く望んでいる女性が手術を受けることを男性パートナーが拒んで、反対を押し切って手術を受けると、彼は別れを切り出すというシーンがあって。どんなその人であってほしいのか、あるいはどんな人だからこそ、自分を愛しているのかということが、パートナーとの関係の中で、“恋愛”と“自分自身であること”っていうのがすごく絡み合って、しばしば自律性を侵害されるっていうことがあると思うんです。そういった中で、この映画はサンが自立した存在であることを、すごくしっかり描いている。 本当に重要なポイントだと思います。
(最後に、)この映画を観るっていうことが、この映画を観るっていう体験だけに終始するのではなくて、現実社会をどういうふうに考えていくか、どういうところであの変えるべきところがあるのかという認識につながるだとか、そういった、映画が外に広がっていく可能性みたいなものを、今日、児玉さんとお話ししていく中で感じましたし、それが本当に今後起きていくといいなと思っています。
公開表記
配給:ビターズ・エンド
絶賛上映中!
(オフィシャル素材提供)