演じる役柄は僕自身ではなく、あくまで僕の中で設定した人間です
『失楽園』『愛の流刑地』と、不倫をキーワードに数々のベストセラーを送り出してきた渡辺淳一の短編を原作に、日常に満たされないOLと上司との情事の始まりを描いた『マリッジリング』。妻子がありながら、若いOLとの関係にハマっていく男を演じた保阪尚希が、27年目になる芸能生活を振り返りつつ、自身の俳優としてのあり方なども含め、たっぷり語ってくれた。
保阪尚希
1967年静岡県生まれ。86年にTVドラマ「この子誰の子?」でドラマ・デビュー。その後も数多くの映画、TVドラマに出演する他、バラエティー番組やCF等でも活躍。二枚目ながら独特の性格俳優として人気を集めている。また、車や釣りなど幅広い趣味とその造詣の深いことでも知られている。2005年に保阪尚輝より現在の芸名に改める。
その他の出演作品には『パ☆テ☆オ』(92)、『ムルデカ 17805』(01)、『銃声 LAST DROP OF BLOOD』(03)、『極道の妻(おんな)たち 情炎』(05)、『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(06)などがある。
私が保阪さんのことを初めて存じ上げたのはドラマ「この子誰の子?」でしたが、保阪さんはその頃からものすごい存在感で、単にカッコいいだけでなく、触ったら火傷しそうなほどのヒリヒリとした独特の雰囲気がありました。夢中になって拝見していましたので、まさかお会いできる日が来ようとは……。
かなり前の話ですね(笑)。僕は18歳でしたから。実は、あれはデビュー作ではなく、連続ドラマで初めて主役級の役をいただいた作品でした。芸能界に入って今年で27年目になります。その前は、一世風靡の前身である“劇男零心会”に所属していました。50人以上いた男の集団で、パフォーマンスしていたんです。
「この子誰の子?」はオーディションだったんですか?
いえ、それまでいろいろなドラマに出させていただいたので、たまたまご縁があって声をかけていただきました。あれも結構大変でしたね。原作マンガ(註:津雲むつみ著)があったんですけど、僕の役って原作では画家だったんです。
当時、僕は高校生でしたが、WBA世界ライトフライ級チャンピオンだったボクサー、渡嘉敷勝男さんがトレーナーになられたときの1期生なんですよ。僕ともう一人いて、彼はチャンピオンになりましたけど、僕はすぐケンカをするのでダメでした(笑)。最近話題になった協栄ジムで、現会長・金平桂一郎さんのお父さんの時代です。
そんなこともあって、画家だった役がボクサーに変更されたんです。もともと頂いていた5話くらいまでの台本では画家だったんですよ。でも、3話から突然台本に変更が加えられ、ボクサーになってまして……(笑)。画家は絵にならなかったというのは分かりますけど、“なんでボクサー……?”とは思いました。「悲しみが伝わりやすいだろ?」って言われましたけど、腑には落ちませんでしたね(笑)。
その当時のご自身を振り返ってみると、いかがですか?
当時の僕は連続ドラマの組み立ても分かりませんでしたから、そういう意味では随分、周りの方々に助けていただきましたね。「この子誰の子?」では、梅宮辰夫さんがボクサーを演じる僕のトレーナー役で、初めてご一緒して半年間仕事をさせていただきましたが、随分お世話になりました。駆け出しの小僧のくせに僕はものすごくつっぱっていて、監督に向かって「なんだ、じじぃ!」と言っていたくらい生意気だったにもかかわらず、イキがっているけど危うい脆さを感じられたのかもしれませんけど、梅宮さんのような先輩の方たちが、親身になって面倒を見てくださいましたね。
当時は、「役者は根性でやれ!」と言われていた時代でした。でも僕は、子どもの頃からスタントマンを使ったんですね。そのほうが、映像として残す総合芸術としては当然だと思っていました。役者は芝居をするものであって、スタントは専門の方にお任せするべきで、僕はバイクも乗れますけど、それはやるべきじゃないと思っていました。僕よりももっとうまく出来る人がいるわけですから。でも、スタントを使ったら「生意気だ」と言われたんですね。「何でやらないんだ?」と。でも、「僕は単車も乗っていますから、やれます。求められれば、正座して時速160キロでも走れますよ。ただ、僕よりも、バイクを動かすことで感情を表現できる方がいるんでしたら、その方がやったほうがいいと思います」と言ったんです。
こんなふうに、闇雲に根性を求められた時代ですから、真冬に伊豆に行ってロード・ワークのシーンを撮ったりするわけですよ、ボクシング・シューズを履いて。ボクシング・シューズって裏は薄いカンガルーの革で出来ているので、すぐ磨り減ってしまうものです。なのに、それを履いて、試合用のトランクスだけ身につけて、上下裸で真冬に走るっていう。あり得ないですよ、ボクサーがそんなふうに体を冷やすなんて。当然汗なんて出るわけがないですから、水をビシビシかけられてズブ濡れになって走らさせるという、そういうことが当然だった時代でした。でも、そんなときに梅宮さんはご自身のベンツを暖めて待っていてくださったりとか、本当に面倒を見てくださいましたね。そういう方たちに囲まれて、僕はやっていたんだなと、今になって思います。若いときはそれが分からなかったんですけど。
あと4日で不惑の年になられますね。何か感慨はおありですか?(註:インタビュー時は12月7日で、保阪の誕生日は12月11日)
何にもないですね。僕はバブルの頃、六本木辺りで遊んでいましたが、20歳くらいのときに見ていた40代って、すっごい“とっつぁん”だったんですよ(笑)。“40って、とっつぁんじゃん。終わってんじゃん”と思っていたんですけど、年を取ってみると、実は24~25歳くらいからそんなに感覚は変わらないんですよね。ましてや、芸能界で仕事をしているとものすごいスピードで1年が終わっていって、盆暮れ正月も四季も関係ないみたいな暮らしですから、月日が流れるのはあっという間で、唯一気がつくのが、うちの長男坊がもう10歳で次男が7歳になったんですけど、息子たちを見ると“こんなにデカくなるんだ……! あぁ、オレも年取ってんだな”と思います(笑)。それ以外は感覚ないですね、40って言われても。考えてみたら、20歳から20年で今、ここから20年で還暦なわけで、もちろんお元気な方たちもたくさんいらっしゃいますけど、お金とか知恵はあるんでしょうが、たぶん体はガタがきているんだろうなと考えると、大人としての人生のうち、ちょうど半分のところにいるんだなとは思います。何かしなくちゃいけないなとも思いますけど、内面はあまり変わっていないので、40歳と言われてもどうしようかな……って(笑)。
例えば、一回り上の方で、ドラマの「家なき子」でご一緒した内藤剛志さんとは今も仲良くさせていただいているんですけど、そういえば、「家なき子」で安達祐実さんのお父さん役をやっていた内藤さんは当時、今の僕より年下だったんですよ。あれから15年くらい経っていて、内藤さんは50歳を超えてますけど、当時とあんまり変わっていらっしゃらないんですよね。だから、そういう諸先輩方を見ていると、そんなに変わらないんじゃないかなと思うんです。だから、40歳といっても、思うところは何もないですね。そんなことよりも、ガソリンがもうすぐ無くなっちゃうのかなとか、温暖化はどうなるんだろうとか、そんなことのほうが気になりますよ(笑)。40歳も41歳も同じじゃないですか? 気持ちは変えようがないですよ。
今作のオファーを受けられた理由は?
この原作もそうですけど、渡辺淳一さんというのは非常に男性寄りに女性をご覧になっていると思うんですよ。これも、女性よりも男性のほうが理解しやすい映画ですね。僕が演じた桑村は、日々楽しみがなくなっていて、しかも仕事もうまくいかないし、本社から飛ばされて課長という肩書きをもらいながらも左遷された男ですが、偶然若い女の子と出会ってしまい、“この子がいるなら会社に行こう”と思うわけです。仕事じゃない部分に生き甲斐を感じているっていう。で、あまり大したこともしないうちにセックスできちゃって、カミサンにはバレているんだけど暗黙の了解を得ていて、それが愛なのか肉欲なのか分かりませんけど突っ走っちゃって、ある程度まで行ったら勝手に落ち込んで(笑)、ダメだと思ったら彼女が戻ってきてくれて……という、そういう意味では非常に男性寄りで、渡辺さんは女性にすごく理想を抱いているのか、“女性はこうあって欲しい、こういう女性に出会いたい”という思いがあるのを感じますね。
僕はたまたま、あんまり映画をやっていなくて、去年は『蒼き狼 地果て海尽きるまで』にも出演しましたが、これまでは超大作しか出ていないんですよ。その前は『ムルデカ 17805』というインドネシアと合作の大作でしたし。テレビと絡んでやったものは何本かあるんですけど、今回の作品は非常に地味じゃないですか。僕の映画の経歴の中では最も地味な作品で、小規模だし、登場人物も少ないですし、大体このストーリーにはヤマがないですから。これまでやってきたものとは全く正反対のところにある作品ですが、僕も映画が好きで、毎週のように映画館に観に行っていますし、毎月出るDVDはほとんど買っているくらいで、その中でも、ロー・バジェットで若い人たちが手弁当で作っているような、小劇場でかける作品で非常に面白いものがあるんですね。インターネットもそうですが、表現できる場が増えたのはとても良いことだなと思います。これまでの僕でしたら出なかったかもしれませんが、お客さんの集まる場が変わってきたので、そういうところに僕とか、ある程度年齢の行った人たちが出ていくと、活性化して面白いかなと思ったんです。僕らのような立場になると、こうした映像の世界をもっと広げていくという役割も担っているわけですから。
渡辺さんの作品で「失楽園」とか「愛の流刑地」などは大作ですが、あちらは事件がありますね。でも「マリッジリング」は事件がなく、しっとりと日常をリアルに描いた作品で、そういったものに参加する意味ってあるんじゃないかなと思ってお受けしました。まあ、こんなにセックス・シーンがあるとは思いませんでしたけど(笑)。オファーを先に受けて、脚本は後で読んだんですよ。
確かに、ベッド・シーンは多かったですね。
ええ。ただ、主人公の女の子をとにかく男性の憧れの象徴みたいに見せなくてはいけないので、そういう意味では非常に美しく撮っていました。僕はキャラ的に、恋愛ものになるとどうしてもセックス・シーンがあるんですけど、これがすごく大変で、角度の計算をしなくちゃいけないんですよ。どうやったら女の子が綺麗に見えるかだとか、どこから照明が来て、どこにカメラがあるから、この角度で入らなくちゃいけないとか。僕は見えなくてもいいんですよ。ずっと裏でもいいわけ。基本的に、作品の中で女の人が脱ぐっていうのは女の人が主役で、男はどうでもいいんです。女の人が綺麗に写らない限り、男の役割はないわけで、そこの角度計算、位置計算をするのがものすごく大変で、本当にセンチ単位で入ってきます。それはもう、職人技に近いですよ。
その中で、気持ちを入れていくのは大変なことなのでは……?
どちらかというと、角度の計算のほうが大きいですね。男は裏側が多いので、そこは女性に頑張っていただかないといけません。その代わり、きれいな角度で入るようにするわけですよ。
現場はサバサバしたもんです。だって、本当にセックスするわけじゃありませんから(笑)。全裸なわけでもありませんし。パンツもズボンもはいていて、「足、見えるよ」と言われたら、か~っ!と裾を巻き上げて、「これで大丈夫!?」って世界ですからね(笑)。
今回はかなり、相手役の小橋めぐみさんに気を遣われましたか?
そうですね。純和風な顔立ちに加え、本当に肌が綺麗な方ですから、男性が“こういう人だったら、おしとやかでいいな”と思うタイプの女性ですよね。で、セックスになると燃えてくれるみたいな、男性の欲求を満たしてくれるような役柄でしたから、セックス・シーンも彼女がいかに美しく映るかということに相当気を遣いました。
工夫したのは、僕、この作品のために日焼けをしたんですよ。コントラストをつけるために。照明さんは泣くんですけど、その代わり、女性はとても美しく映るんです。僕が白いシーツの光を吸収していくので、僕は沈み彼女が浮き立つわけです。そういう技は使っています。女性を綺麗に見せるテクニックの一つですね。
お話を伺っていると、カメラの後ろ側の仕事にもご興味がおありのような気がしますが?
そうですね。僕はもともと制作希望で芸能界に入りましたから。これまでもセルフ・プロデュースで来ているので、そういうことは非常に考えますね。芸能界に入った頃はどこの現場でも一番年下で、“すっげ~おっさんたちがいっぱいいる”と思ったものですが、今はヘタすると一番上ですから(笑)。照明とか音声には年配の方がいらっしゃいますけど、それ以外は年下ばかりという場合があります。そういうときにはやっぱり、年相応の役割というものがあるわけです。キャスティングされた時点で、それは決まってきますね。“新人の方がいたら、ケアしてくれますよね?”という願いが、そのキャスティングには入っているわけですよ。だからそこは暗黙の了解といいますか、当然作品として良いものに仕上げなくてはいけませんから、“分かってますよ”という思いは僕もあります。さっきも梅宮さんのような先輩の方々のことをお話しましたけど、自分もやっていただいたので、今度は自分がそういう役回りを受け入れるべきだと思いますし、作品自体のレベルを上げるためにも、経験者がいろいろと考えていくべきですね。
シナリオは書かれたりしますか?
シナリオはよく書きますけど、監督はやりません。プロデューサーもやったことはありますけど、そこまでですね。やれと言われればやれるとは思います。当然スタッフの方たちがいろいろやってくださいますし、自分自身、割りとか考えながら動いたりしますから。
ただ、これまで依頼があってもやらなかった大きな理由は、監督をやってしまうと、次に現場に行ったときに、“この人、監督をやったことがある”と思われるわけですよ。マイナス要素から入ってしまうんです。つまり、その現場の監督と同業者ですから。役者が監督とぶつかっている時って、役者は特殊能力なので監督とは違う見方をしているわけです。時には完全に監督や作家の上を行っていることもあります。でも監督をやってしまうと、“この人は役者として言っているのか、監督として言っているのか”と考えられてしまうわけです。すると、監督に何か言っても、「それは俺の演出じゃなくて、あなたの演出でしょ?」と思われてしまったりして、それは作品にとってマイナス要素なんです。作品を良くしたいと思ってコミュニケーションをとろうとしているのに、そこで止まるわけです。全員の監督がそうだというわけじゃないですよ。ただ残念ながら、そう受け止める方もいるということです。それはつまらないことだなと思いますね。監督によって経験値や価値観は違うわけで、そういう意味でマイナス要素を相手に与えないほうがいいんです。そのほうが伸び伸びとやれるでしょうし、僕も役者としての意見をどんどん言えますからね。
本やシナリオは書きますから、脚本に関しては、相当手を加えたりします。それは作家さんも了承の上で、読んでいただいて「良いほうを選んでください」と言うと、大体OKが出ます。
今回はどうだったんですか?
今回もちょこちょこ変えています。ただ、原作があるものなので、原作から外さないようにしながらキャラクターを出していくという作業はありました。台詞はありますけど、それを生きものに変えていくのは我々役者の仕事ですから。
でも、原作ものが非常に怖いのは、原作の人物が自分の思っている男なのかどうかが分からないことなんですね。今回は渡辺さんと話しているわけじゃありませんので。あくまで僕が作った人であって、同じ台本でも他の方がやったら他の表現をするでしょうし、それはちょっと微妙ですね。言い回しなどは、僕の中で生きている彼のものとして作ったわけで、彼ならこの台詞を言わないとか、彼はこういうイントネーション、トーンで話すとか、こういう語尾とか、「あ」の長さはどれくらいで言うとか、自分の中で全部設定しているんです。それはもう、原作とは別のものになって一人歩きしているわけですね。
作家の方が現場に出てくることもよくありますが、マイナスに働くことが多いです。それは書いていた作家の先生の頭の中で動いていたものであって、人に渡ってしまったら別の生きものに変わるわけですから、作家の先生が来てあれこれ注文をつける現場は大体、作品の質を落としますね。そういう意味では、渡辺さんはご自身の作品に自信を持っていらっしゃるからでしょうけど、渡してしまったら何を変えても口を出されることはなく、それは素晴らしいことだと思います。現場にも一度も来られなかったと思いますね。たぶん、その辺は割り切っていらっしゃるんじゃないかな。もしかしたら、来たら言いたくなるから行かない、とか。
今回の役柄が、ご自身の気持ちに沿うようなところはありましたか?
残念ながら、自分とオーバーラップさせることは一度もありませんでした。彼は僕ではないです。僕の中で設定した人間ですね。世の中の誰かということでもありません。細かいところでプログラムを組んでいますから。我々役者はプログラマーとしての役割があるわけで、プログラミングを細かくしていき、どこかでバグが出ないような作業をやっていきます。ご飯をどんなふうに食べるとか、目線をどうするとか、ここではこうするとか、全部プログラムを組んでいくんです。
全体を客観的な目でご覧になっているという感じですね。
そうですね、100%そうです。そうじゃなく、ちょっとでも個人が入ったら、いくら角度を計算しているといっても、セックス・シーンで実際にやりたくなりますよ(笑)。実際にはそういうことは皆無ですから。
こういう小さな現場は初めてということですが、体験されていかがでしたか?
人数的には深夜ドラマに近いものがありましたから、映画になるのが不思議でしたね。これまで経験してきた映画の規模が全然違っていたので、“これで撮れるのかな”とは思いました。音はどうするんだとか、この人数で映画の照明がやりきれるのか、とか。人数は少なくても、組まなくてはいけない照明の数はあるので。だから、少人数でこういうものを作っていくというのは、逆にスタッフはプロを求められるわけです。そういう意味ではすごい方たちだなと思いましたね。
こうした映画もテレビも結局は同じことをやっているんです。それが映画館にかけられたか、テレビで流れたかの違いだけなんですよね。作っている側としては、これは映画であれはテレビだという意識はしません。ただ、キャパが違うのでちょっと表現方法を変えたりはしますけど。基本的にやっていることは一緒ですよ。ある人がいて、どういうふうにその人の人生を切り取っているかというだけの話ですから。
保阪さんは最近、ブログで悩み相談を始められましたね? もしも、演じられた桑村が相談に来たらどう答えますか?
彼は何も困ってないですよ(笑)。このドラマって、完全に男性目線で、要は、男にとってこういう女性がいたらいいなという話ですからね。この人、すごく得ですよ。左遷されたということだけはマイナスですけど、そんな中で女の子と出会って、会社に行く意義を見出すわけですよね。社内でもセックスしたりとか、毎日のようにセックスして、自分で勝手に盛り上がっちゃって、自分の思いの中で、テーマでもあるマリッジリングを外したら彼女が喜ぶだろうと思って外すわけですけど、逆効果になってしまいます。で、落ち込んで、もうダメだと思ったら彼女が戻ってきてくれて……っていう。彼にとっては全くもってラッキーなストーリーです。だって、カミサンも許してるんですから。唯一マイナスなのは、会社を飛ばされたということだけですよ。
彼が悩んでるとしたら、一応後ろめたさがあるわけです。カミサンとか子どもに対して。どっちに行こうかという葛藤があるだけです。愛人に対しては申し訳ないという気持ちからマリッジリングを外すわけですが、それが裏目に出てしまいます。でも、女の子はもっと強くて、これを見ると、“あぁ、女の子はしたたかだな”と思いますね。なんだかんだ言って、ふいっと戻ってきますから。この二人はもう、ずっとズルズル続きますよ。この日の夜は絶対ヤッてます(笑)。
そんなわけで、男性にとって都合の良いシチュエーションになっているので、この人は全然困っていませんよ(笑)。「どうしたらいい?」と聞かれたら、「勝手にすれば? だって、どっちもうまく行ってるんでしょ?」って言うね。この人が変わる時って、たぶん仕事がうまく行った時ですよ。もともと家庭は顧みていませんし、今この環境でこの立場だから彼女に目がいきますけど、仕事がうまくいくと彼女は忘れるでしょう。でも、彼女のほうもしたたかだからね。
仏門に入られましたが、その後、何か心境の変化はありましたか?
自分の中では一切ないですね。もともと僕は親のために仏門に入っただけなので、宗教家でもありませんし、何かを布教していこうという気もないので。
唯一変わったのは、子どもたちが自分から話しかけてくるようになったことです。以前もよくそばには来たんですけど、お母さんに「サインもらってきて」とか促されてがほとんどでした。でも、あの報道以来、親が自殺したりいじめに遭っていたけど、保阪は普通に頑張って生きてきていると思ったのか、それから子どもたちが自発的に僕に近づくようになったんですよね。どこかお店に行ったりすると、「保阪さんですよね? 頑張ってください」と、小さい子が言いに来るわけです。そばに親ごさんはいないんですよ。「親はどうした?」と聞くと、「どっかその辺で買い物してる」と。「そっか。おまえも頑張れよ。迷子になるなよ」と話したりしますけどね。
子どもたちって今、コミュニケーション不足で、面白いと思ったり魅力を感じたら大人に話しかけたいんですけど、話しかけられる大人が周りにいないわけですよ。大体、世も末のCMがありますね、子どもたちが親の悪口を言っているような。あんなのを流しながら、親に子どもとコミュニケーションをとりましょうだなんて、そんなのは間違っていますよ。ただ、テレビに出ている僕を見て、“保阪って、こんなに大変だったのに普通に暮らしているし、この人だったら話しかけてもいいかな。もしかしたら、自分のことも分かってくれるかも”と思って話しかけてきているんじゃないかと感じるんですよね。彼らは自分たちの意思で来ていますから。
だから、僕が変わったというよりは、子どもたちの僕に対する接し方が変わりました。“この大人だったら大丈夫かも”とか、ちょっと思ってくれたのかなと。それに対して何かできないかなとはずっと思っています。たまたま僕は芸能界という、表に出る世界で生きていますからね。僕はヤクザ者になってもおかしくない環境で育った人間です。でも、たまたま27年間も芸能活動をさせていただいて、伝える仕事をやっているわけですから、何か伝えたいと思いますし、ずっと出続けていたら、僕が経験したような境遇にいる子どもたちにも伝わるものはあるかもしれないと思いながらやっています。
最後に、これから映画をご覧になる方々にメッセージをお願いいたします。
『マリッジリング』に出ている保阪尚希です。男性なら分かるなというような、女性との恋愛の物語です。皆さんおそらく、こんな恋愛をしたいんだと思いますが、出来ない理由は間違いなく、私たち男性側にあるはずです。この映画を観て、奥様にも許され、不倫相手にも許され……というような、愛される男性になることを目指して頑張りましょう(笑)! 楽しみにご覧ください。保阪でした。
ドラマで初めて見た10代の頃の保阪尚希は、野生の獣のような反逆的な激しさと壊れそうな繊細さをむき出しにした美少年で、その稀な存在感に、同じく10代の無垢な(?)少女だった私は心をわしづかみにされてしまったものだ。あれから、○○年の月日が流れ、その方を目の前に出来る日が来ようとは、田舎でノホホンと暮らしていた10代の私には想像さえできなかった。
実物の保阪さんは、長年芸能界を生き抜いてきた貫禄と自信と共に、客観的で冷静な視点と愛情を持って作品を見つめる役者として一本筋の通った方だと、今回お話を伺ってつくづく理解できた。
久々に強烈なオーラを浴びて、陶然とした思いで帰る道すがら、渋谷の駅前で映画の撮影隊に遭遇。なんと、ギャスパー・ノエの東京ロケで……というのは別の話になってしまうわけで。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
公開表記
配給:アートポート
2007年12/8(土)より銀座シネパトスにてロードショー
(オフィシャル素材提供)