「写真家は過去にさかのぼり未来を見通すシャーマン。」写真家・長倉洋海は、鋭いカメラアイで世界を見つめ、愛をこめて人間を写してきた。運命的な出会いにも恵まれた。“文明の十字路”アフガニスタンでソ連軍と戦った抵抗運動の指導者・マスードと仲間たち。ドキュメンタリー『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』は、2001年に48歳の若さで自爆テロに倒れたマスードの教育への思いを共有すべく今も支援を続ける北部パンシール渓谷の山の学校の記録。
この度、公開を前に、主人公の写真家・長倉洋海のオフィシャルインタビューが到着した。
長倉洋海(ながくら・ひろみ)
1952年、北海道釧路生まれ。写真家。通信社勤務を経て1980年よりフリーランスとなり世界の片隅に取り残されたような国々を取材。地を這うように、シベリア・アマゾン・エルサドバドル・アフリカ・シルクロードなどを撮影。なかでもアフガニスタン抵抗運動の指導者マスードの戦い、北部パンシール渓谷の山の学校の子どもたちを捉えた作品群は、第十二回土門拳賞、講談社出版文化賞などを受賞した。
長倉さんはご自身のドキュメンタリーを作りたいという河邑監督からのオファーを受けてどう思ったんですか?
僕は写真を撮ってきましたが、映画というまた違うメディアで僕の写真を紹介したり、今まで何を撮ってきて、何を目指したかというのを話せるというのは面白いなと思っていたので、喜んで受けさせていただきました。
今アフガニスタンへの関心が薄れてきているので、ニュースの一つで終わるのではなく、このドキュメンタリーで、「こういう一人のカメラマンがいて、マスードと出会い、彼は亡くなったけれど、山の学校にその想いが残っている」という流れを見てほしいと思いました。
ドキュメンタリーでも描かれている通り、長倉さんは1983年にアフガニスタンでソ連軍と戦った抵抗運動の指導者・マスードの取材を開始しますが、マスードの取材をしたいと当時思った理由を教えてください。
僕が学生時代の1975年に行った時のアフガニスタンは、シルクロードで栄えたものの、世界最貧困の国でした。銃も満足に作れない国なのに、米国と覇権を争っていたソビエトという国と戦って、負けるのではなく、勝利を収める若者がいる。しかも数千人(5000~1万人)の兵を率いている。それまで僕が行ったアフガニスタンは、長老の伝統社会で、若い人はものが言えなかったんです。それが、彼の歳は僕と同じと聞いて、伝統的な社会の中で、リーダーシップを取るなんて、どういう男なんだろう、会ってみたいと思ったのがきっかけです。
その頃僕自身は、報道写真をずっとやってきて、いろいろな戦地に行ったんだけれど、皆が行っている所に行って写真を撮るだけだったので、ピューリッツァー賞を獲れるような写真や思った写真が撮れていなかった。自分なりの新しいドキュメントを探っている時期だったんです。2~3年前にアフガニスタンに行った時と同じ戦争や状況報告ではなく、このマスードに目を向けて、一人の人間をしっかり捉えて、その背後に戦争が見えるようなドキュメントにしたいと思いました。
長倉さんは自爆テロに倒れたマスードの教育への想いを受け継ぎたいと、2004年にNGO「アフガニスタン山の学校支援の会」を設立しましたが、どう変遷してきましたか?
僕の写真展に来てくれていた方たちが、各地で賛同してくれる人たちを集めてくれて、会員がだんだん増えていって、一時900人位までになりました。最初の頃は皆さんがアフガニスタンにすごい関心を持っていたから、例えば「子どもたちにザックを持って行きたい」と言ったら、すごい数のザックが集まったんです。当時は流通が良かったんで、郵便局で段ボール10個以上のザックをアフガニスタンまで送って配ったり、文房具を送ったら届いていました。ただ、10年という目標でやっていたから、一度そこで解散して、2017年から第2期ということで再スタートを切りました。10年位経つと人々の関心が少しずつ薄れていって、会員もそんなに増えなかったというのが現状です。
2021年にタリバンが首都カブールを制圧しました。図書館の本が燃やされたエピソードなど、ドキュメンタリーでは一言で終わってしまい、詳しくは描かれていないですが、パンシールではどういうことが起こったのでしょうか?
タリバンからしたら、1966年から2001年にタリバンの全国制覇を唯一阻んだのがマスードだからすごい憎しみがあって、マスードの故郷のパンシールの人々を逮捕したり暴力を振るうことがあったので、人々は恐ろしくて、カブールに逃げたんです。今後もNGOは継続していって、皆が山の学校に戻ってきたら、また支援を始めるし、それまでは違う方法で支援していきます。
ドキュメンタリー内で、最初子どもの教育に興味がなかったお父さんの意識が変わってきたというエピソードも紹介されます。長年取材を続けることの重要性についてはどう考えていますか?
新しい発見が常にあります。同じ場所に行くから前と同じことしか見えないのではなくて、行けば行くほど彼らは心を開いてくれて、だんだん家族のようにみなしてくれて、生活の中にどんどん入って行けます。例えば、アフガニスタンをはじめ、イスラムの国々では、女性は宝なので、「盗まれたら困る」と、外国人に女性は姿を見せないというのが伝統なのですが、それまで顔を隠していたお母さんが、「この人は、ちゃんと写真を持ってきてくれる」と分かって、顔を出して「子どもと一緒に撮ってくれ」と言ってきたり、家に招いて精一杯感謝の気持ちを表してくれたりします。お姉ちゃんやお兄ちゃんから話を聞いているから、山の学校では、1年生でも僕のことを知っています。だから、地域と人々が僕の中に入ってくるというか、深くなっていきます。
僕は、人々の気持ちが浮かび上がってくるような写真を目指していて、僕の写真では共感は重要です。行く度に彼らに対する思い入れ・共感が増します。マスードもですが、「いい写真が撮れるから行く」のではなくて、家族や友達のように思っているから、行かないと「どうしているかな?」と思って、それが次の旅のモチベーションになっていました。
ドキュメンタリーではたくさん長倉さんが撮った写真や過去の資料が紹介されていましたが、喜んで提供したのでしょうか?
河邑さんから嫌になるくらいメールが来ました。「今度はこれとこれとこれを送ってくれ。イメージがどんどん湧いてきています」という感じで。僕は写真を撮る以上、監督は映画を撮る以上、いいものを作るのは意味があることだし、僕も喜んで協力しました。
監督は本作をフォト・ドキュメンタリーと呼んでいますが、完成した映画を観ていかがでしたか?
自分の写真なんだけれど、映画を観て、「えっこういうふうに見えるんだ」というのが新鮮でした。一つひとつが連続して写っているわけではなく、カットが違うはずなのに、一つひとつがバラバラに出てくるんじゃなくて流れていくので、ストーリー性があるというか、うまく繋がっていくのに驚きました。
僕は途中途中で河邑さんから取材を受けているし、河邑さんとアフガニスタンに一緒に行って撮影もしましたが、ほとんど使われていないんです。「あれも削ったの?」と思うくらい削られていたんですが、最後まで映画を観て納得できました。これだけスチール写真を繋ぐと、動く画が邪魔になって、スチールの良さが活きてこないと監督は考えたんだなと理解しました。
読者にメッセージをお願いします。
削りに削ってできたエキスみたいな映画なので、観て何か僕からのメッセージや監督からのメッセージを一つは感じられると思います。その一つがすごく大事だと思います。本作は、監督の時間とエネルギーと僕の40年の歴史が凝縮されたもので、僕が伝えたかったことはちゃんと盛り込まれているので、ぜひ観ていただきたいと思います。
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公開表記
配給:アルミード
9月12日(火)~9月24日(日) 東京都写真美術館ホールほかにて公開
(オフィシャル素材提供)