映画『火だるま槐多よ』は、22 歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896 – 1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント。1月のロッテルダム国際映画祭への正式出品が決定している。
初日舞台挨拶には、W主演の槌宮 朔役の遊屋慎太郎(『佐々木、イン、マイマイン』など)、法月 薊役の佐藤里穂(『背中』)、パフォーマンス集団の元村葉役の工藤 景、民矢 悠役の涼田麗乃、庭 反錠役の八田 拳、朔を見守る式部 鋭役の佐野史郎、”ピンク四天王”と称される佐藤寿保監督が登壇した。
冒頭監督が、本作制作のきっかけを説明。「14年ほど前に没後90年の村山槐多展で『尿する裸僧』の実物を見、(村山槐多著の小説)『悪魔の舌』を読んでいたので、なんか映画にできないかと漠然と思っていたんですが、コロナ禍になって毎晩うなされていた時に、光明のごとく『尿する裸僧』の画像が入り込んできたんです。『佐藤、俺のことを忘れておらんか』と。村山槐多は、100年ほど前22歳5ヵ月で、スペイン風邪と肺病を併発して亡くなったんです。その22歳5ヵ月の中で絵に没頭して死の恐怖に怯えながら死ぬまで絵に対峙した熱量を映画に取り込みたいなと思いました」と話した。
オーディションについて聞かれた遊屋は「映画の抜粋のシーンももちろんやったんですが、『「尿する裸僧」の絵を見て、自分だったらどう描くかやってみて』と言われて、その場で描きました。それがどう審査に影響したかは分からないですが」と監督のほうを見ると、監督は「絵によってそれぞれの特徴・素の部分・欲望も出ると思ったので、『ちょっと試しに描いてみようか』と言ったら、遊屋くんは独特で、佐藤里穂さんはエゴン・シーレみたいな絵を描かれて、感心しました」と話した。
佐藤里穂は初日の思い出を聞かれ、「私が最初に撮るシーンの前に、実景の撮影があり、監督が支度部屋にいらっしゃらなかったんです。メイクのチェックを遠隔でする中で、監督から『眉毛をあげてくれ』とオーダーをいただきまして、眉毛を上げめにメイクさんに描いてもらって写真を送ったんですが、『もっとだ』と言われ、『1〜2mm上げよう』と言ってまた写真を送ったら、『もっとだ』と言われて、最終的に眉毛を半分くらい剃って、生えていないところにメイクさんに綺麗に描いてもらいました。そのお蔭で、薊という気の強い、不思議な女性になれなと思います」と驚きのエピソードを挙げた。
遊屋は、村山槐多の代表作『尿する裸僧』のオマージュとなる立ちションをする浜辺のシーンがあった。浜辺を裸で走ったシーンについて、遊屋は、「見えないように、普通前貼りというのをするんですが、大体はガーゼやテーピングではっつけます。最初自分ではっつけて監督のところに行って『どうですか?』と言ったら、『フォルムが分からないから、違うもので。子供用の靴下を被せたら、動きも表現される』と言われました。結果見えてはいけないから、どういうことになるんだろう?と思っていたんですが、実際映像になったのを見たら、何か黒く存在感はあるなと思い、絶妙で正解だったなと思いました」と、裏話を披露した。
ポスターにもなっている絡みのシーンの撮影について、佐藤里穂は、「12月の暮れに寒い本当の洞窟で撮ったんです。気温マイナス十何度のところでお互い裸になって、血糊を上からばっと浴びて。温めては下さっていたんですが、どんどん熱を奪われ、寒くなっていて。絡みのシーンを撮っていた時に、なかなかカットがかからなくて、初めてプツンと頭の中で音がしまして、本当に遊屋さんの首筋に(噛みつきに)行きそうになった時にカットがかかって、事なきを得ました。本当の血を出すところだなと思いました」と壮絶な舞台裏を語った。
朔を見守る式部役の佐野は唐十郎の状況劇場出身。「デビューの映画『夢みるように眠りたい』もある意味ではカルト・ムービーでしょうし、元々アンダーグラウンド演劇のシーンから映画デビューした人間です。何より、アウトサイダー、アンダーグラウンドの世界は好きですし、子どもの頃から学校や家庭で『これが正しい、美しい』と言われているものが、『えっそうかな』と思うことがいっぱいありました。表現という世界に触れて、映画に限らず、表現に救われたことが随分ありました。特にこの映画は、自分が闘病をしてから1年は経っていましたけれど、俳優を続けていけるかなという不安があった時期もありましたから、なおさら、自由な作品に久しぶりに出合えて、緊張感はありましたけれど、嬉しかったです」と感慨深げに話した。
佐野は、佐藤寿保組は初参加。「僕だけオーディションを受けずにすみませんでした」とジョークを飛ばすと、監督も「とんでもない」と答え、佐野は、「責任の重大さは感じていて、初心に戻って臨まなければいけないと思いました」と話した。
遊屋は「(パフォーマンス集団)毒刃社のメンバーが村山槐多という一人のアーティストに影響を受けて自分たちの表現を模索して消化していくことがこの作品の中で描かれていると思うんですけれど、それと同じようにこの作品も、どこかの誰かの表現に繋がっていったら嬉しいなと思います」と思いを吐露。
佐藤里穂は「絵を見る感覚で観ていただければと思います。色でもいい、音でもいい、表情だとか、匂ってくる何かでもいいんですけれど、味わい尽くしていただければと思います」と話した。
佐野は、「監督の強い思いで、村山槐多という作家を介しての映画ができた。大正時代から昭和の初期に現れた、ものすごい熱量があるものが大好きです。シュールレアリズムと言われているものだったりが意外と戦争を乗り越えて、いや潜伏してと言うべきでしょうか、何のことだか分からないから検閲に引っかからないできたんじゃないかという思いで振り返っています。この映画も、あからさまに反戦とか反核とか政治的なメッセージを出しているわけではないけれど、改めて一体何が起きて、なんで私たちは今こういうことになっているのか振り返る踏み絵というか、それこそデスマスクに象徴されるような映画ではないかと思っております」と歴史を踏まえたメッセージを残した。
佐野は続けて、「僕の役は例えが良過ぎるかもしれないけれど、ジャン・コクトーの『オルフェ』のウルトビーズだとか、あの世とこの世をつなげる役だと思っています。大正時代、恩師たちが作り上げてきた60年代、70年代、佐藤監督たちが作り上げてきた時代を一つにしたような作品なんじゃないかなと思っています。これをきっかけに振り返っていただければと思います」と自分の役と日本の映画史を重ね合わせた。
工藤は、「パフォーマンス集団のリーダーの役を演じたので、パフォーマンスについて触れたい」と話し、「日本ってダンスを目にする機会が意外と少ないと思っていて、ダンスをやっていない方にどう面白さ・感動を伝えられるかをずっと模索してきたんです。劇中に出てくるパフォーマンスは、そういうものを目にしてこなかった方が楽しめるものは何かっていうのを僕らなりに追求して作り上げたものなので、何かしらパフォーマンスって面白いなという何かが伝わっていればと思います」と熱く語った。
涼田は、「樹海での撮影がすごく印象に残っています。自然のパワーや、胸の底から押し上げてくるものを助長してくれるような空気で、撮影にのめり込んでいった環境があったんです。そこでの撮影のシーンは、皆さんも自然からのパワーを受けて、情熱的なシーンがたくさん生まれたと思うので、いろいろ感じていただければと思います」と述懐した。
八田は、「僕自身、人生の中で居場所がないなという感じで生きてきました。登場人物たちもそういう部分があると思います。そういう部分で感情移入ができるかと思います。本編を拝見して、日常生活で生きてきて僕自身は得たことがない刺激を得たので、エナジー・刺激が欲しいなという気持ちが消化されれば嬉しいです」と佐野のアウトサイダーという話に繋がる思いを吐露した。
最後に監督は、「今回佐野史郎さんの怪演ぶりと言いますか、中心・軸ができて、あとはオーディションで、槐多に憑依する・感化される、頭でっかちではない肉体で表現できる、理屈ではない芝居を求めまして、それが映像に定着したのではないかと自負しています。今世界では、生きることさえままならない、表現することなんてとってもできないような状況もある。日本においては表現する場がある。表現とは生きるということ。熱量を受け取ってください!」と熱く語った。
登壇者:遊屋慎太郎、佐藤里穂、工藤 景、涼田麗乃、八田 拳、佐野史郎(以上出演)、佐藤寿保(監督)
公開表記
配給:渋谷プロダクション
1月12日(金)まで新宿K’s Cinemaにて公開中。他全国順次公開
(オフィシャル素材提供)