登壇者:平野啓一郎(小説家)、大島育宙(XXCLUB)
4月19日(金)、新宿バルト9にて『オッペンハイマー』公開記念トークイベントが行われた。
スペシャルゲストには、「現時点での最高傑作かもしれない。史実に基づきつつ、過去作のさまざまな主題が緻密に、重層的に構成されている」とXに投稿した芥川賞受賞作家の平野啓一郎氏(「マチネの終わりに」、「ある男」、「本心」)、日本公開前に『オッペンハイマー』を観るためオーストラリアを訪れ、「核実験の場面の恐怖と迫力だけでなく量子や宇宙のイメージと心理の過剰なカットバックは人間に興味が増してきたノーランの新境地」と語り、既に4回も鑑賞済みのXXCLUB大島育宙氏が登壇。二人は、クリストファー・ノーラン監督最新作『オッペンハイマー』をどう受けとめたのか、イベント・リポートが到着した。
上映終了後、興奮冷めやらぬ観客から盛大な拍手で迎えられた二人。幅広い年代層の男女に『オッペンハイマー』の鑑賞回数を尋ねると、初鑑賞が最多ながら、2回目、3回目でも手があがり、中には4回、5回目という猛者も。
映画の感想を問われた平野氏は、『オッペンハイマー』は「現時点でのノーランの集大成。出世作の『メメント』以降、『バットマン』などで取り組んできた主題が作品のなかでトレースされている」と断言。「ノーランといえば時間についての彼の独自研究のようなことを皆さん思いつくと思います。映画は時間芸術なので始まりと終わりがあります。最後に結果があり、その起点となる原因や動機があり、その因果関係で時間芸術としての物語を成しています。ところがノーランは、『メメント』では結果に対して原因・動機に合理的な因果関係があるのかという疑いを、『インセプション』では、ある動機に基づいて行動するとき、その動機が内発的なものではなく外側から植え付けられたものではないかということを描きました。そのような因果関係に対する彼の懐疑が、『オッペンハイマー』では、原爆に対して僕たちが抱く疑問と非常にうまく重なっていました」。
続いて大島氏が「トーンとしては、オッペンハイマーの罪をどれだけ贖罪しても償いきれない罪として描いている。平野さんがお話された原因と結果、時系列の操作という部分にもつながってきますが、作品が円環構造になっている。映画の最初の場面と最後の場面が重なるようになっていて、オッペンハイマーのアップで始まって終わる。オッペンハイマーという人物をこの罪から逃さないぞというような描き方」だと指摘した。
原作も読み込んでいる二人は、原題の「アメリカン・プロメテウス」に触れ、平野氏が「ノーランはプロメテウスになぞらえるようなオッペンハイマー観を皮肉的な目線で見ている」と指摘、大島氏は「人間の生活に欠かせない火をもたらしたプロメテウスだが、原爆の開発をそれになぞらえるのは迂闊。そこにノーランが乗っかっているかいないかという視点は重要だがあまり語られていない」と応じた。
ノーランの全作品を観返したという平野氏は、「2000年代は敵を悪魔化して戦争を正当化するような言説があったが、『ダークナイト』トリロジーなどを観ていると、ノーランはアメコミのヒーローを使って“悪との戦い”というものを非常にまじめに考えていた監督。どれだけダメな社会に見えてもそれを全滅させてはいけない。バットマンという超法規的な存在が悪と戦うが、最終的には、バットマンがいることでジョーカーのような存在が出てくるから、市民社会が自立的に対処しなければいけないという終わり。そういった“必要悪としての正義”の描き方がある意味で『オッペンハイマー』にも反映されている。その意味ではノーランはオッペンハイマーに対して懐疑的なところがあるのではという印象を受けました」と、ノーランが描き続けてきたテーマに言及した。
イベントの結びには、もう一度観るとしたら注目ポイントはどこかという問いに、平野氏は「過去作を見ると、あの主題が『オッペンハイマー』に反映されているなという部分も多いので、特に『ダークナイト』トリロジーを観てからだと気がつくことが多いと思います」と強調、大島氏が「1回目の鑑賞では“なぜこんなに複雑に?”と感じられる方もいるかもしれないが、何度も観ると、丁寧な分かりやすい作り方であるということに気がつく作品。何度も観ることで時系列をシャッフルすることの意味が分かります。劇場でいろいろな形式で観ると感想が変わってくる作品かなと思います」と締めくくりました。この後、白熱した二人のトークは、フォトセッション中も続いた。
クリストファー・ノーラン監督最新作『オッペンハイマー』は、全国で大ヒット上映中。
公開表記
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
全国の劇場で大ヒット上映中
(オフィシャル素材提供)