登壇者:田中 泯(ダンサー・俳優)
聞き手:森 直人(映画評論家)
ヴィム・ヴェンダース監督作品『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』について、6月6日(木)夜にヒューマントラストシネマ渋谷にて田中 泯(ダンサー・俳優)のトークイベントが実施された。
田中 泯:このアンゼルム・キーファーの映画、本当にいい映画ですので、トークイベントに参加できて光栄です。
森 直人:田中 泯さんご自身が出演されている以外の映画では、初めてのトークイベントへのご参加になるそうですね?
田中:舞台挨拶っていうのはなんか恥ずかしいんですけど、今日は本当にアンゼルムのことを話せるので楽しみにしてきました。
森:田中 泯さんは、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』と、短編『Some Body Comes Into the Light』にご出演され、また昨年6月、カンヌ国際映画祭に出席された後、フランスにあるアンゼルム・キーファーさんのアトリエを訪ねられた。その時にアンゼルム・キーファーと初めてお会いしたんでしょうか。
田中:南仏のバルジャックのアトリエで会いました。昨年、カンヌ国際映画祭が終わって一旦、日本に帰ってきて、またすぐにフランスに出かけて行って会いました。
森:アンゼルム・キーファーは、田中 泯さんのドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』をすでにご覧になられていたと、お聞きしたんですが。
田中:そうなんです。僕は30代初めから、ヨーロッパに行くようになって、ちょうど、キーファーとか、ボルダンスキーとか美術家たちがドンと出てきて、僕はキーファーにびっくりしたんですね。その時に直感なんですけども、自分に似てるんじゃないかと思ったんですよ。それで調べたら同じ歳で、しかも誕生日が2日違い。
森:アンゼルムさんは1945年3月8日、泯さんは3月10日、東京大空襲の日でもあるという……4。
田中:それで、アンゼルムに自分は東京の空襲の日に生まれたって言ったら、俺だってドイツの空襲の日に生まれたって(笑)。産院の地下で生まれたらしいですけども、その日、彼の家は空襲で焼かれてなくなっていたと。
森:お二人は何か似てますよね?
田中:周囲から戦争について、その当時の話を聞かされるわけですよね。この間、山田洋次監督の映画に出してもらった時に、東京大空襲で川に飛び込んだ人の死体の数が最も多かった橋の上で芝居をやらせてもらったんですよ。偶然なんですけども。僕は1945年の生まれを「戦後ゼロ年」と言ってるんですけども、戦争は二人とも体験はしてないんです。ただ、戦争の真っ只中、戦争はまだ終わってなかったんですよ。終戦後のドイツのものすごさ、ひとづてに聞けば国民の半分は盗みを働いていたという言われるくらいに戦後のドイツは辛くて辛くて大変だった。僕が子どもの頃は、戦後であるということがそこらじゅうで感じることができたんです。キーファーも一緒でそこら辺の話は彼としました。
森:今年4月、表参道のファーガス・マカフリー東京でアンゼルム・キーファー展が開催中の期間、アンゼルムさんが泯さんの舞台『TIME』(新国立劇場)を観に来られたとお聞きしましたが。その時にキーファーがインタビューなどは全然受けてないのに、泯さんだけに会いに行っていた(笑)。やっぱりソウルメイトみたいな感じになっちゃってるということなんでしょうか。
田中:そうなんでしょうね。9月にもキーファーのところに踊りに行ってきます。
森:ヴェンダース監督も「戦後ゼロ年」生まれなんですよね。8月生まれで。
田中:ヴェンダース監督については、30年以上前になるんですけども、僕がまだ映画なんか出てない時代に、彼がローマの美術館で講演をしていて、その時に少し話す機会があって、この人は繊細だって直感的に思いましたね。
彼の映画に出る、最大のきっかけを作ったのはたぶん、ピナバウシュっだと思います。僕はピナバウシュとは口論ばかりしてました(笑)。それが「田中 泯、田中 泯」って言ってたらしいです、本当かどうか分かりませんが。でも『PERFECT DAYS』を構想した当初から「田中 泯は、まだ踊っているのか?」ってヴェンダース監督が言っているとプロデューサーに聞いて、会うことになったんです。『PERFECT DAYS』の撮影の最終日に車に乗って帰ろうとしたら、ヴェンダース監督が追いかけてきて、「泯、俺たち同い年だよね」って(笑)。
彼は自分の誕生日は広島・長崎の原爆が投下されて、「世界中のニュースになっているときに俺は生まれたんだ」って。
森:8月14日がヴェンダース監督の誕生日ですね。
田中:もちろん僕たちは何も覚えてませんよ。周りから聞かされた話、自分から焼夷弾見たかのような気になってますから。
森:「戦後ゼロ年」生まれのお三方が一緒に表現を立ち上げられているのがすごいことだと思います。
映画『アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家』をご覧になった率直な感想はいかがですか?
田中:キーファーは映画監督になりたかったらしいんですよ。それはヴァンダースもそんな話をしていて、相当の昔からキーファーとヴェンダースは、ずっと交流を続けていて、それがベースでこの映画ができたんだと思います。
森:信頼関係と、共鳴し合ったお二人、同じ「戦後ゼロ年」世代の田中 泯さんにはどう映りましたか?
田中:この人は俺に近い人なんじゃないかと思ってしまったのは、そういう時代に生まれたことが特殊なことでは決してなくて、人間の歴史の中の、ある一コマなわけじゃないですか。でも繰り返し繰り返し人類は悲劇を創造しているわけですよね。
それに対する「ムカムカ」って僕は言うんですけども、子どもとして大人に対して「ムカムカ」する。どんな瞬間でも大人が社会を動かしているんですね。だから大人っていうのはいつまで経っても良くないんですよ。体のどこか奥のほうに「ムカムカ」したものを抱えている人っていうのは、「匂う」んですよね。そういう人たちほとんどが子どもっぽいんです(笑)。子どもみたいに戯れあって、冗談を言える。キーファーって哲学者みたいな顔してるじゃないですか? でも、ものすごいダジャレ言いますよ(笑)。あと、めちゃめちゃ体が強いんですよ。一緒に山を歩くんですけど、キーファーは全然疲れない。
森:アトリエも広いんですよね?
田中:東京ドームの何十倍かな。そこに50いくつかの貯蔵庫というか、ガラスハウスっていうか……その中に巨大な絵があって見られるようになっていて、見上げるほどデカい絵がいっぱい。もう、巨大なミュージアムですね。
森:キーファーは戦後ドイツのタブーとされている歴史をあえてモチーフにて再構築している。それが「“傷ついた世界”の芸術家」という邦題にも繋がってきていると思うんですけども。
田中:ドイツでは彼は裏切り者……戦後ドイツでは邪魔者扱いというか、バッシングされた時期もあって、映画でもそう言ってますよ。ヒトラーを忘れちゃダメだって、こういうパフォーマンスをするんですよね(右腕を掲げる)。その時は誤解を恐れずやるんですよ、写真に残して。
森:お好きなシーンとかございますか?
田中:一瞬なんですけども、キーファーが斜めのワイヤーを綱渡りしてるんですよ。ひっかかるんですよね。なにか、エッジ(縁)をやっとこすっとこ歩いている感じがしないでもないな。ちょっとバランスを崩すと落ちる。バルジャックの彼の半数くらいの作品が見られるアトリエは、実は地下道で繋がっているんです。すごいです。最初は大型の重機で掘り始めるんだけども、途中から手掘りなんですよ。いまだに掘ってるんです。これをキーファーは「オーディトリアム」って言うんです。アンダーグラウンドです。要するに作品と作品の間を行き来する時に、サロンなんかを通るな、地下道を通れって、そう言うメッセージを受け取りました。
公開表記
配給:アンプラグド
6.21(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開
(オフィシャル素材提供)