この世界で何かを変えるチャンスは誰にでもある
西アフリカ・ガーナで、右足に重度の障害を持って生まれたエマニュエル・オフォス・エボワ。障害者に対する偏見が強く、障害者には過酷な運命が待ち受けているこの国で、片足で自転車によるガーナ横断を決行、その後も義足でトライアスロン・レースに参加するなど、身をもって人々を啓蒙し社会を変えるべく、さまざまな挑戦を続けている彼の活動を記録したドキュメンタリー『エマニュエルの贈りもの』。本作の日本公開を前にエマニュエルが初来日、自らの想いを届けようとエネルギッシュに語ってくれた。
エマニュエル・オフォス・エボワ
1977年、西アフリカ・ガーナで片足に重度の障害をもって生まれる。
ハンディキャップを克服し、単独自転車でガーナ全土を走破したのを始め、義足をつけトライアスロンに挑戦するなど、障害者スポーツを通して母国の障害者福祉を変えるべく精力的に活動を続ける。
日本に対してはこれまでどのようなイメージがありましたか?
日本は高品質の電化製品をたくさん作っている国だというイメージがあったよ。日本とガーナはとても親交が深いので、来日して僕の映画をお見せできることをすごく楽しみにしていたんだ。今回が初来日なんだよ。昨日の夜に着いたばかりで、まだ車の中から町を見ただけなんけど印象が強烈で、昨日からずっと仲間と興奮しっぱなしなんだ。アメリカには何回か行っているけど、日本は本当にすごいよ!
このドキュメンタリーを撮影することになった経緯をお聞かせください。
まず、1999年の終わりから2000年にかけて、ガーナを自転車で走破するというプロジェクトを考えて、やりたいと思ったんだけど、スポンサーがなかなか見つからなかったんだよね。それで、ガーナに在住の修道院の方に相談して、スポンサー探しを始めたというのが最初だった。その方を経由して、カリフォルニアにある“障害者アスリート財団(CAF)”というところに、自転車やグッズを提供していただけないかと嘆願書を書いたんだ。すると、すぐに賛同してくれ、自転車なども送ってくださり、まず600キロの旅を始めたんだ。
ガーナは障害者に対してとても過酷な国で、障害をもった子供が生まれた時点で、恐ろしいことだけど、家族は一家の恥だということでその子を殺してしまうということがたくさん起きている。ただ、僕自身はとても恵まれていた。母が僕を一生懸命育ててくれて、常に励ましてくれたからね。そういう気持ちを受け継ぎたいという気持ちがあったので、路上で物乞いをしたり殺されてしまったりする状況を何とか変えたいと思い、そのことをみんなに訴えかけるために自転車で走り始めたんだ。
障害者アスリート財団は自転車を提供してくださっただけじゃなく、僕の活動に非常に興味を持ってサポートし、アメリカにも招待してくださったんだ。当時僕はまだ義足をつけていなかったんだけど、お医者さんに紹介していただき、右足の悪い部分を切断して義足をつける手術をすることができた。そのときにしばらくカリフォルニアに滞在していたんだけど、財団の方が友人のフィルムメーカー、ナンシー・スターンさんとリサ・ラックスさんに、ドキュメンタリーの題材を探しているんだったら、今ガーナからこういう人が来ているよ、と話をもちかけたら大変興味を示してくれて、この映画はそこから始まったんだよ。そんなわけで、滞在期間中、ずっと僕をカメラで追っていたんだけど、それがどんどんメディアで取り上げられて、物語自体どんどん膨らんでいったので、当時はまだどんな構造になるのか、長編作品になるのかも分からなかったんだけど、とりあえずたくさんフッテージを撮りだめるようになった。その後、ガーナに帰国するときにも彼女たちは一緒にやってきてカメラを回し、これは大きな話だということで、長編にすることになったんだ。
監督である2人はもともと、NBCでたくさんスポーツ関連のドキュメンタリーを撮ってきた方たちなんだよ。障害者アスリート財団の設立者で元スポーツ選手のボブ・バビットさんを題材にしたドキュメンタリーを撮ったことがあるという経緯もあって、彼と親交が深かったんだよね。
お母様に支えられたということですが、エマニュエルさんにとってお母様はどんな存在でしたか? また、新しい家族が出来てご自身が変わったことはありますか?
母は僕にとってものすごく大きな存在だよ。先ほども申し上げたように、ガーナで障害者として生まれるというのはとても大変なことで、物乞いをしたりとか、ある意味、人間としての尊厳を奪われた状態で生きなければならない中で、母は常に僕を励ましてくれた。母がいたからこそいろいろなことが出来たし、“母のために”と思ってやってきたこともたくさんあるので、今こういう状態でここにいられるのも母のおかげだと思っているよ。
血のつながった家族というのは常に大事な存在で、叔父や叔母、兄弟も含め僕には大勢家族がいて、その中で育ってきたんだ。母は僕が13歳のときに亡くなったので、代わりに僕が弟妹を養ってきた。だから、新しい家族が出来て子供も生まれ、家族の面倒を見るというのは僕にとってそれほど大きな変化ではないんだけど、それでも家族が常にそばにいて一緒に頑張っていくというのは大事なことだと思っている。家族が増えて楽しんでいるよ。
現在さまざまな活動をされているようですが、ご自身について、そしてガーナについて、夢見ていることはありますか?
それを聞いてくださってありがとう。まず一つは、政治的な活動ではあるんだけど、2008年に僕が住んでいる地区の議会に立候補することを考えている。いろいろな法案も含めてやりたいことがたくさんあるので、その活動に向けて態勢を整えているところだ。
僕が議会に参入することになったら、障害者の子供たちの小学校・中学校の学費を免除するという法案を提出したいと思っている。
僕は教育に一番興味をもっていて、母が亡くなった後、僕自身は学校を止めて働かなくてはいけなくなったということもあるんだけど、“エマニュエル基金”という教育基金を設立し、今25人の障害をもった子供たちを援助していて、健常者と一緒に学ぶ機会を与えるということに一番力を入れているんだ。教育の機会を得るというのは世の中で最も大切なことだと思うからね。
実は僕、弁護士になりたかったんだよね。大学に行って勉強できていたらいろいろと変わっていたと思うんだけど、僕ができなかった分、子供たちには将来の夢を実現できるように教育の機会を与えたいんだ。障害者でも、王様でも大統領でも自分のなりたいものになれると信じられるよう、この活動を続けていくつもりだよ。
こうしたことは、2003年にNIKEのケイシー・マーティン賞を受賞したときにいただいた賞金を基に始めたことなんだけど、今もどんどん他の企業スポンサーを募っていて、もっとたくさんの人を助けられるように活動基金を集めている最中なんだ。
それから、ガーナにアフリカ最大級のスポーツ施設を設立するという目標がある。障害者がスポーツをする場所や機会を作りたいんだ。今、障害者たちのスポーツ・チームをたくさん編成していて、2008年の北京パラリンピックにガーナからの派遣団としていろいろなスポーツ・チームを送りたいと考えている。
エマニュエル基金では、12人ほどのスタッフが僕のもとで働いているんだけど、互いに協力しながら、彼らの夢もかなえさせてあげたいと思っているんだよね。僕は人を結びつけるのが大好きなんだ。いろいろな人々が出会って一緒に活動していくということに意義を感じている。映画でも語られているけど、父は僕が生まれたときに障害者だと分かってすぐに家を出てしまったような人だ。ただ、こういう活動をしていくうちに、僕がとても大きなことに挑戦しているということを見てくれていたようで、ある日、僕のもとにやってきて「すまなかった」と謝罪してくれた。だから今は父とも交流があるんだ。
人と人を結びつけて大きな活動に発展させていき、みんなが互いに助け合いながら、楽しんでやりたいことをやってほしいと願って、僕は頑張っているんだよ。
トライアスロンを通じて、さまざまな人との印象的な出会いがあったと思いますが、その中でも良い思い出だったのは?
いろいろな人を通じて、僕はたくさんの素晴らしい出会いの機会をいただいた。人と出会うということは、自分がやっていることを見ていただくことであり、自分が行動することによって、障害者や若者などなかなかチャンスに恵まれない人たちに向けて、「僕のような人間でもこういう風に大きな目標をもって突き進めば、どんなことだって出来るんだ」と身をもって証明できる。そういう形で大きなメッセージを伝えることができると信じているので、よりたくさんの人々と出会ってアピールできるのはとても素晴らしいことだし、そういう機会をいただいていると思うよ。
ガーナの元大統領とお会いしたときにいろいろと話をして以来、とにかく後ろを振り向かないで前進あるのみだ、未来のことを考えて行動するということを心がけている。
今回ナレーションを担当してくださったオプラ・ウィンフリーさんは非常に影響力のある、世界的にもビッグな方だけど、彼女とブッシュ大統領に会ったときに同じことを言われたんだ。「あなたは私のヒーローです」と。ものすごく感動したね。お二人が僕のことをヒーローと感じてくださっているというのは、僕という存在や僕がやっている活動から、彼らが何かを感じて学びとってくださったということの証明だと思うからね。これからもそういう存在でいなくては、という励みにもなる。この映画を僕は何度も観ているんだけど、観るたびに自分自身でも学ぶことがたくさんあるんだ。これまでの道のりを振り返り、ガーナの人たちだけじゃなく世界中の人々のヒーローにならなければいけないんだということを、自分に思い出させてくれる。そういう気持ちにさせてくれたお二人の言葉を、常に心に置いているんだ。
障害をもっていたり貧しかったりするとポジティブな気持ちになれない方々もいると思います。そうした方々にどのように接して、心を解きほぐすようにされているのですか?
良い質問だね。先ほども申し上げたように、ガーナに生まれた障害者はほぼ100%、路上で物乞いをするしか生活の手段が残されていない。僕も物乞いをしている人々に大勢出会って、一人一人と話をした。僕がまず言ったのは、「物乞いを止めなさい」ということだ。もちろん、彼らは「物乞いを止めるのはいいけど、じゃあ、明日からどうやって食べていけばいいんだ?」と聞いてくるよ。それに対して、「僕はまさに、こうした物乞いを無くすために活動しているんだ。僕と一緒にいろいろな所に働きかけをしよう。スポンサーを見つけたり、政府に法案を作らせるなり、大きなところに訴えかけて、こういう現状を無くしていくことが大事なんだ」と説いて回っている。映画の中に出てくるサラという障害者も元々物乞いをやっていたんだけど、僕の話に耳を傾けてくれて、彼女は今基金を通して、障害をもった子供たちを学校に送る活動をしているよ。そういう風にどんどん自立を促して、まずは考え方を変えていくということが大事だと思うので、一人一人と話して、食べるために物乞いをするというだけじゃなく、もっと大きなことを考えながら社会を変えていかなくてはいけないと、語りかけ続けているんだ。
最後に、これから映画をご覧になる方々に向けて、メッセージをお願いいたします。
僕は『エマニュエルの贈りもの』に主演しているエマニュエル・オフィス・エボワです。自分の人生の物語、経験を多くの人々と分かち合うのは素晴らしいことだと信じています。自分はおそらく、人生において何ひとつ夢をかなえられないと思っている方々もいらっしゃることでしょう。でも、僕のドキュメンタリー映画をご覧になって、僕がいかにして自分の経験を多くの人と分かち合っているかをお知りになったら、この世界で何かを変えるチャンスは誰にでもあるのだとお分かりになるでしょう。
だから、『エマニュエルの贈りもの』はあなたの人生を変え得る映画だと信じています。この映画から何かを学び、これからも一生懸命前に向かって進んで行こうと思えることでしょう。『エマニュエルの贈りもの』をご覧ください。あなたの人生を変えてくれるはずです。どうもありがとうございました。
遠いガーナから長旅を経て、前日に来日したばかりだったエマニュエルさん。朝早くのインタビューでお疲れの様子だったが、笑顔を絶やさず、一つひとつの質問に対してたっぷり時間をかけ、精力的に語ってくださった。彼にはこれからも、国家を動かそうという大きな夢がある。さまざまな困難を乗り越えて、いま社会を変えようとしている青年の熱い想いに触れて、いろいろと考えさせられることの多いインタビューだった。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
『エマニュエルの贈りもの』作品紹介
西アフリカ・ガーナ。この地で暮らす障害者には、過酷な運命が待ち受けている。
彼らには、家族の重荷として人目を忍んで生きるか、物乞いの道しか残さされていない。ガーナでは、ポリオワクチン不足などの理由で多くの人々が障害を持ち、その数は全人口の10%、実に200万人にも及ぶ。しかし、一人の障害者が抱いた新年と目的が、そんな現状を変えることになる……。
右足に重度の障害を持ちながらも、母国の障害者に対する偏見をなくすべく、日々精力的に活動を続ける一人の青年、エマニュエル・オフィス・エボワ。障害を持つ者も、社会に貢献できるという信念のもと、片足のみで自転車によるガーナ横断を決行し、ガーナのみならず世界中に大きな感動を与えた。
(原題:Emmanuel’s Gift、2005年、アメリカ、上映時間:80分)
キャスト&スタッフ
監督・製作:リサ・ラックス、ナンシー・スターン
出演:エマニュエル・オフィス・エボワ、ジム・マクラーレン、ルディ・ガルシア・トルソン、ボブ・バビット、ロビン・ウィリアムズ(特別出演)、コフィ・アナン元国連事務総長(特別出演)、オプラ・ウィンフリー(ナレーション)ほか
公開表記
配給:デジタルサイト
2007年6月23日、渋谷シネマGAGA!他にて全国順次ロードショー
(オフィシャル素材提供)