
3/7(金)より新宿ピカデリーほか日本初公開となる、巨匠テレンス・マリック監督作品『バッドランズ』。この度、総勢11名の著名人の皆さまより推薦コメントが到着した。
山中瑶子(映画監督)
ひと目みた時からこの映画の虜になって(本当にファーストカットから!)、スクリーンで観られる日を待ち望んでいた。
シシー・スペイセクの可憐で凍てついた瞳に、たおやかでいて無関心な声。心にべったりと張り付くマジカルなスコアと撮影。
生活の渇きは、どこへ行く。14歳の頃が一番賢かったことを思い出す。
五十嵐耕平(映画監督)
あらゆる命に何の関心も持てず、軽薄で頭空っぽな二人を演じたマーティン・シーンとシシー・スペイセクがとんでもなく素晴らしい。
ここには何にもない。言葉通り、血も涙もない。ロマンスだって大したことない。
彼らと同じようにただ荒涼とした景色が広がるばかり……。
だがさて、私たちは?と言いたくなる。
奥浜レイラ(映画・音楽パーソナリティ)
テレンス・マリック監督の映画は、計算された構図の美しさに毎度惚れ惚れする。長編監督デビューとなった本作も、そのほとばしる哲学を浴びる無二の体験だった。叙情的にとらえたアメリカの大地をつらぬく、青春の反抗と暴力。最後に残る感傷は、発表から時を経た今も生々しい。
坂本安美(アンスティチュ・フランセ日本 映画プログラム主任)
ゴミ収集するマーティン・シーンが庭でバトンを回しているシシー・スペイセクと出会うことで始まるふたりの恋の逃避行は現実と幻想が融合したアンデルセン物語のようだ。はじめての愛の交わりの後に呟くスパイセクの言葉のように、夢は残酷な現実と隣り合わせである。しかしまさにそれだからこそ、ふたりが出会い、感じる世界の一瞬、一瞬が生々しく、かけがえのないものとして私たちに刻まれていく。
後藤 護(暗黒批評)
ウルトラ・ヴァイオレンスとラディカル・イノセンスが渾然一体となった、アメリカン・ニューシネマ版『狩人の夜』とでも呼ぶべき闇のおとぎ話。ホリーのバトントワリング、青空に放たれた赤い風船、舞い上がるヘリコプター……水平に広がるバッドランズの崇高な風景に圧倒されつつも、「浮遊する世界」(G・R・ホッケ)への軽やかな飛翔願望が本作には隠されている。「Gassenhauer」の浮世離れしたマリンバの響きに反重力宣言が聴こえた。
オートモアイ(アーティスト)
「長い孤独より愛する人との一週間を取る」
一時の決意も、落ちていくようなスピードの中では瞬きする間に過去になってしまう。
現実世界そのものから遠ざかり、非現実的な魔法の世界へ向かうような逃避行の中で、観客の私達もホリーとキットと共に不思議な夢を垣間見る。
小柳 帝(ライター/編集者)
『バッドランズ』は、ナレーションがトリュフォーから来ているとか、ロビンソン・クルーソー的なツリーハウスのシークエンスが『気狂いピエロ』を彷彿とさせるとか、確かにヌーヴェル・ヴァーグの影響が随所に感じられるが、実際メインの撮影を行ったスティーヴン・ラーナーは、ロベール・ブレッソンやジャック・ドゥミの作品で知られるギスラン・クロケの薫陶を受けたカメラマンなのだ。おそらくラーナーが撮影したであろう、アメリカ西部の幻想的な風景は、ネストール・アルメンドロスによる『天国の日々』に負けず劣らず美しい。
小川あん(俳優)
一歩ごとに運命へ近づきながらも、どこか永遠のような時間を過ごすふたりの若者の果ては、不毛の地。砂埃の中にかすかに「くたびれた愛」の影が忍び込み、風と戯れるようにあっさりと揺れている。テレンス・マリックの叙情詩は「運命の無常さと儚さ」を走らせることから始まった。
有島コレスケ(ミュージシャン)
ロマンティックな逃避行のその先は楽園か破滅か。
乾いた銃声が虚しく耳に残って切ないが、淡々と語られる物語は白昼夢のように幻想的で、ただただ美しい。
鳥居真道(ミュージシャン)
恋愛は狂気の側にあるもので決して生易しいものではないと断言する恋愛映画の究極系という感じがします。誰かと恋に落ちることはまさに「不毛」なのかもしれません。連続殺人鬼と少女の関係は、まるでピーターパンとウェンディのようで、殺伐としていながらもどこか寓話的です。魔法が解けていく様を少ない表情で示すシシー・スペイセクの演技が見事。
高橋ヨーコ(写真家)
名作映画のオマージュかと思いきや、これがそれらのオリジナルだったのか。まるで映画を観ているようだな……(いや映画なんだけど)と思わず呟いてしまうほど、映画とはなんぞや、と考えさせられる一本でした。そぎ落とした音楽も最高。
公開表記
配給:コピアポア・フィルム
3/7(金)より新宿ピカデリーほか全国順次ロードショー
(オフィシャル素材提供)